2011年05月21日

【同人誌再録】嘘時間の旅人

久し振りとか思ったけど、4月に更新しているからこのブログ的には早いほうでした。
にゃっぽんで掲載→コピー同人誌にした作品なのですが、もう同人誌再販予定もないし、そもそも十冊かそこらしか売ってない本なので、もう時効かなぁ、ということでブログに再掲してみます。
初出が丁度二年前。二年前ですって。二年前。

今とは若干作品に漂うスメルというか、テンション的な何かが違う気がします。
でも何か読み返してみたら結局いつもの自分の作品でした。
カイミクのつもりで書いてたけど、友達には「これカップリング物じゃねーよww」と散々つっこまれまくった逸品です。
特に加筆修正とかしてません。二年前のありのままを大公開。ヤッタネ!
一応、死ネタ注意?サイハテ的な話です。これを書いた時サイハテまだ聞いたことなかったんだけど!


というわけで、続きからどぞ。


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嘘時間の旅人

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 白煙が夕焼け空にたなびいて消えた。
 ――本当に、雲の上の人になっちゃったな。
 ぼんやりと考えながら、僕は隣に立つ彼女の手を握る。
 綺麗な空なのに、彼女はずっとうつむいていて、顔をあげようとしない。泣いているわけではなかった。泣きたいのはやまやまだろうけど、僕らにはそもそも、涙が存在しない。
 人間だったら、きっと僕らは一緒に声をあげて泣いたのに。
 泣く機能がないおかげで、演技をしないと嗚咽すらもらせない僕らは、ただぼんやりと立ち尽くすことしかできなかった。
 あの人は、出会えただろうか?
 雲の上で、嘘ではない本物と、再会できただろうか?
 魂なんてないだろう僕らには、いつか雲の上で再会することもできないけれど……。

 せめて、僕らの嘘があの人を安らかに旅出させることができたのだと、信じさせてください。



 僕の最初で最後のマスターは、老齢のご婦人だった。
 とてもじゃないが、音楽ができるようには見えない人だ。尋ねてみると案の定、音楽はろくにわからないのだと、人の好そうな笑顔でころころと笑った。
 僕は、アンドロイドだ。歌唱させることを目的に作られた、ボーカル用アンドロイド、ボーカロイドシリーズの「KAITO」タイプ。KAITOというのは、僕の設定上でのデフォルト名だ。大昔に出たDTMソフトの名前で、僕の外見、及び声のモデルとなっている。
 そういう趣旨のものだから、何もしなくてもすらすらと歌ってくれるものだと勘違いして買う人間はたくさんいる。楽譜代わりとなるメロディーのMIDIデータを、何らかの形で転送してもらわないとならない。そして、転送してもいきなり歌えるわけではなくて、色々と指示をもらって微調整を加えないと、酷い音痴になってしまう。だから、音楽の基礎知識がないと上手く使えないケースがほとんどだ。商品の説明書やCMなどでも、その手の注意書きをしているというのに、使いこなせないからと買って早々に返品された機体は数知れない。
 だから、大して期待していなかった。中には、奴隷のように扱う客や、ストレス解消のサンドバックにするような目的で買う客もいるらしいから、僕はむしろ恵まれているといっていい。
 もしかすると、ずっとサンプルとして入っているデータの曲しか歌わせてもらえないかもしれないけど、マスターを選り好みする権利は僕にないのだ。
「家族を紹介するわね。そこで待っていて」
 にこにこ笑顔のまま、部屋を後にするマスターの背を見送る。
 ここに連れてこられる前に、マスターの基本情報はある程度インプットされている。たしか一人暮らしだったはずなんだけど、お孫さんでも遊びにきているんだろうか。それとも、ペットか何かだろうか。大きなイヌとかじゃないといいけど。
 しばらくしてマスターが連れてきた人物は、僕の予想を色んな意味で裏切っていた。碧の長い髪を両サイドで結い上げた、僕よりも少し年下に見える女の子だったからだ。
 思わず、僕は自分の前髪をつまんで見た。僕の髪は青い。綺麗に染めるかウィッグをつけたんじゃなければ、人間が青や碧の髪を持っているなんてありえない。
 大体、僕が出荷前の基礎教育機関をすごした製造元のラボでは、彼女と同じ姿をした女の子を何人も見ている。
「はじめまして。デフォルト名は初音ミクです。ここでも普段は、ミクって呼んでくださって構いません」
「ああ……えーと、その、はじめまして。デフォルト名はカイトです。よろしく」
 普段は、という言い回しにかすかなひっかかりを覚えたものの、僕はそれを聞き流して握手をした。まさか、この家でもう一人のボーカロイドと出会うことになるなんて。
「ずっと二人だったから、家族が増えて嬉しいです。カイトさんとお呼びしていいですか?」
「いや、呼び捨てで構わないよ。敬語も……家族になるのに、変だよね?」
「あはは、それもそうですね。えーと、じゃあ……」
 そこでミクは可愛らしく小首をかしげる。長いツインテールがさらりと揺れた。
 じっと上目遣いで見つめられると、何だか照れ臭いというか、むずがゆいというか。居心地の悪さを覚えて少しだけ目をそらすと、彼女は満面の笑みでくすりと笑みをこぼす。
「それじゃ……お兄ちゃんって、呼んでもいい?」
「…………へ?」
「何か、お兄ちゃんって、憧れなの。ほら、カイト型ってことは、設定的には私の兄っていっても差し支えないと思うし」
「え? でも、それはモデルになったソフトウェアの話で、ボーカロイドとしては君の方が発売も出荷も早いよ?」
「いいの! どう見ても年上なのに、弟なんておかしいもん!」
 子供っぽく頬を膨らませるミクに、僕は正直どうしていいかわからずにあたふたとしていた。人間とのコミュニケーションをとるための基礎教育は一通り受けていたけど、僕はまだ出荷されたばかりで、幼児みたいなものだったから。稼動からしばらく経って人間生活に慣れているミクとは違って、女の子を宥める方法なんてとっさに出てくるわけもなく。
「さっそく仲がいいことね」
 マスターは僕らの様子をみて、おかしそうにくつくつと笑いをかみ殺していた。
「何だか死んだ子供たちを思い出すわ。兄と妹の二人兄妹でね。いつも妹の方がお兄ちゃんを振り回すのよ」
 懐かしそうに目を細めるマスターに、僕はきょとんとした。
「ミクを買った時もね、娘に目元がそっくりだったからつい買ってしまったの。カイトは、何だか雰囲気が似ているし、二人が一緒にいてくれたら、家族が戻ってきたみたいできっと素敵だろうと思ったのよ」
 マスターがさらりとほがらかにそんなことを言ったので、僕は更に反応に困ってしまった。
 僕らボーカロイドは歌うために作られているけど、実際は、歌うことだけを求められることは少ない。だから、家事や簡単な作業などは覚えれば一通りできる程度の生活知識は得ているし、ある程度、どんなケースにも対応できるようにシミュレーションも受けている。
 たとえば、死別や離縁した誰かの代わりを求められた場合のケースも。
 それでも困ってしまったのは、このケースには当たりたくないな、と思っていたからだ。悲しいことなんて、ない方がいいに決まっている。
「これからは私とお兄ちゃんが子供だと思えばいいよ! ね?」
 はしゃいだ声をあげて、ミクが僕に抱きついてくる。僕はあせって逃れようとしたけど、首筋に腕を回されて、顔が近づくと、回路がショートしたみたいに動けなくなってしまう。機械とはいえ、身体だけではなく人格も男として設定してあるから、かわいい女の子に抱きつかれたら慌ててしまうのは当然だ。
 だけど、ミクが耳元で囁いた言葉に、僕はフリーズしかけていた思考が冷静さを取り戻す。
「……お兄ちゃん、後でちょっといい?」
 その声音の真剣さに、僕は頷かざるを得なかった。
 僕の体を解放したミクは、さっきまでの無邪気な様子で、マスターのところに戻っていく。

 ――それが、僕らの出会いだった。



 ミクのいう「後でちょっと」は、午後のティータイムの準備時間に訪れた。
 二人でマスターに紅茶を淹れる。僕は初めてだから見ているだけで、ミクだけが一方的にせわしなく動きながら色々話してくれる状態だ。
「この家で幸せに生きていくには、いくつか注意しないといけないことがあるのよ」
「……どんな?」
 器に色んな形をしたクッキーを盛る作業を、申し訳程度に手伝いながら僕は聞き返す。
「ひとつ、マスターがどんなことを言っても、にこにこして話をあわせること」
「話をあわせる?」
「多分、すぐにわかるから」
 お湯をポットに注ぎ、茶葉をむらす。その間に、カップに湯を注いで温めておく。手順の説明を間に挟みながら、ミクは続けた。
「設定がわかってきたら、それっぽく演技してみて?」
「演技って!? へ、え? 設定?」
「声大きくしちゃだめだってば」
 ミクは僕の口元に手を押し当てる。慌てて言葉を飲み込み、ゆっくりと手を引き剥がすと、僕は声をひそめた。
「あと……他には?」
 ミクは少しだけ気まずそうに目をそらし、やがてため息まじりに呟いた。
「マスターの前では歌わないで」
「…………え?」
「お願い……。嘘をついて、誤魔化して、真実なんて見せないで」
 謎かけのようなミクの言葉は、僕を混乱に陥れた。
 詳しく聞きだそうとした僕に、ミクは満面の笑みを浮かべる。
「ほら、マスターのところに持っていって!」
 これ以上深くつっこんだらまずいんだろうか。釈然としない思いを抱えながら、僕は紅茶とクッキーが乗ったトレイをマスターの元に運んだ。
 マスターはしわだらけの顔をくしゃくしゃにして笑う。
「あら、カイトがもってきてくれたのね。そういう姿を見ると、まるで死んだ夫が戻ってきたみたいだわ。夫もカイトという名前だったの。同じ名前だから、何だか気になってあなたを買ってしまったのよ。男の子の話し相手もほしかったものだから」
 僕は――多分、すごくマヌケな顔をしていたんだろう。
 隣でミクに肘でつつかれるまで、次の行動に移れずにいた。
「え……と。同じ、名前だったんですね」
「そうなの。そういえば、雰囲気も少し似ているわね」
 ふふふ、と上品に笑うマスターに、ミクがクッキーを指さす。
「今日はオレンジピールを入れたクッキーを焼いたの!」
「あらあら、ご馳走ね。ミクを見ていると、私の若い頃を思い出すわ。これでも私、若い頃は綺麗だったのよ?」
「私にそっくりだったからびっくりして買っちゃったんでしょ? 何度も聞かされたから知っているわ」
「あらあら」
 多分、ミクは気をつかって割って入ってくれたんだろう。あまり僕に話題が向かないようにしている。
 僕は、ただ呆然としていた。
 似ていると言った。
 さっきは息子と娘で、今は夫と若かりし頃の自分で?
 どちらにも似てておかしくはない、血縁があるのなら。

 ――だけど。

 数日後には、ミクが忠告した意味がよくわかった。
 息子になって、夫になって、恩師になって、先輩になって、親友になって。顔を合わせるたびに変わる自分の設定に、目が回りそうになった。
 僕は機械だから、一度記録された『設定』を忘れることはなかったけれど――最初はとても上手くごまかせなかった。
 何度かミクに助けてもらいながら、僕は少しずつこの家のことを覚えていった。

 マスターは長いこと独身でいる。(夫がいたのはいつの話だ?)
 子供も居ない。(近所の子供とはよく遊んであげている。)
 歳が歳だから、恩師も先輩も――友達でさえも、遠くにいて会いにもこられないか、すでに亡くなられているかだ。

 わかっていながら、僕とミクは、嘘をついた。
 あらゆる手をつくして、マスターの嘘を肯定した。
 歌を歌わせてはもらえなかったけど、マスターは僕らにとっては優しくて暖かい良いマスターだったからだ。
 マスターには、ずっと笑っていてほしかったからだ。



 そうやって、僕らの元に一年の時間が訪れた。
 その間に、世間は色々とめまぐるしく動いている。たとえば、僕らのような感情を持つ、高度な人格形成回路を搭載したアンドロイドには、ある程度の人権を保障してもらえる法律が制定されたりとか。
 とはいえ、僕とミクには関係ないことだ。偽りの世界で微笑むマスターに、嘘を嘘だと気づかせないために、僕らはあらゆる人物になりきった。
 今では、カイトとミクという本来の名前で呼ばれることは、ほとんどなくなった。僕らは数多にある名前と設定を使い分けながら、マスターの世話を焼いている。
 マスターが定期健診で病院に行く日は、朝にマスターを送り届けた後、夕方に迎えに行く手はずとなっている。その間待ちぼうけの僕らは、一度家に戻って裏庭で歌を歌っていた。マスターの前では決して歌わないと誓い合った僕らは、こうやって外出中の隙に存分に歌っている。
「お兄ちゃんは、その歌が好きね」
 ミクが呆れたように呟く。今ではミクが『お兄ちゃん』と呼べる機会も、こういう時以外になくなってしまった。
「だって、僕らが歌えるのって、サンプルの曲だけじゃないか」
「でも、それだって五曲くらいはあるのに、お兄ちゃんそればっかり歌うの」
 僕が歌っていたのは『若者たち』だ。遠い、遠い道のりを行く若者の歌を、僕は何だかとても気に入っている。
「ミクは好きな曲、ないの?」
「うーん、私は……お兄ちゃんと同じでいいや」
「何で?」
「それを歌っている時の、お兄ちゃんの声が好きなんだもん」
 それから、僕らはしばらく二人で歌っていた。マスターを迎えに行くまで、まだまだ時間がある。それまでは、こうやって一時『ボーカロイド』に戻る。
 僕らが最初から上手く歌える歌だけを、ずっと。
 マスターの前では歌わない。ミクがいうには、一度歌ってみせたら、酷く悲しそうな顔をしてその後しばらくふさぎこんでしまったらしい。
 その後、マスターの知人にそれとなく聞いてみると「あの人は歌が嫌いなんだ」と言った。
 聴くことすらできないくらいに歌が嫌いなマスターが、ただの世話役としてのアンドロイドじゃなくて、あえてボーカロイドを買った理由は何だろう。
 ただ、僕らがマスターの大切だった誰かに似ていたから?
 それなら、マスターが僕らを呼ぶ数ある名前のうちの、誰に似ていたっていうんだろう。それがわかるなら、僕らはいくらでもその人に近づくのに。
 ――それが理由じゃないというなら。
 マスターがあえて歌うために作られた僕らを、歌わせないままにそばに置く意味があるなら――。
 考えても、どうしようもないことだった。
 僕らは機械で、マスターのために少しでも役に立つのが存在意義で。マスターが幸せになってくれるのが僕らの喜びで。
 この頃には僕も生活に慣れて、だいぶ学習も進んでいたから、何となくわかった。ミクが言ったとおりなのだ。
 嘘をついて、誤魔化して、真実なんて見せてはいけない。
 真実に触れたら、きっとマスターは幸せではいられなくなる。僕らも、幸せにはなれない。
 歌うのは、若者の歌。果てしない道のりを進む。
 僕とミクの声が、ソプラノとアルトのメロディーが重なる。
 ――がたん、と音がした。
 歌がやむ。僕らは二人で顔を見合わせて振り返った。
 そこにマスターがいた。手に持っていたはずの杖は取り落として、石畳の上に転がっている。さっきのはこれの音だ。
 その後ろ、生垣の向こうにある門から見える道を、近所に住んでいる夫婦の車が走り去っていくのが見えた。病院が思いのほか早く終わったところに出会って、ここまで送ってきてくれたんだろう。
 そこまで、記憶回路は無意味に状況を分析して。
 感情回路は、非常事態に慌てふためいてエラーを起こしまくっていた。
 マスターがその場でうずくまって、震えていた。小さな子供のように、老いた体を小さく丸めて。
「マスター!」
 一度、この状態になったのを見ていたからだろう、ミクの方が早く動いた。
 近づいて、そばに屈みこんで、背中をさすっている。
「マスター、大丈夫だから。私たち、どこにもいかないよ。ちゃんとここにいるよ?」
 少し遅れて何とか行動できるようになった僕が、マスターに駆け寄る。
「マスター、立てますか?」
 マスターは何も言わなかった。代わりにミクが首を横に振ったので、僕はマスターの体を抱え上げる。軽い身体だ。骨と肉でできている人間の体は、僕らの体とは全然違って、すぐに壊れそうだった。乱暴な扱いになっていないことを祈りながら、僕はマスターを寝室に運ぶ。
「――めんなさい」
 マスターを寝かしつけようと布団をかけた時、ふいに聞こえた呟きを、僕は聞こえない振りをした。

 それからずっと、マスターは寝たきりになっていた。もうかなりの老齢だから、ちょっとしたきっかけで大きく体調を崩すのはよくあることだろう。
 だけど僕とミクは、不可抗力とはいえマスターに歌を聞かせてしまったことに責任を感じている。マスターが歌嫌いなのは知っているんだから、ずっとずっと、歌わないただのアンドロイドでいればよかった。
 そうしたら、僕らはまた優しい嘘で、いくらでもマスターを幸せにできたのに。
 往診に来た医師に相談しても「お歳がお歳ですから、気にされないのが一番です」とやんわり諭されてしまった。
 僕らは寝室で、マスターの話し相手になるのが日課になった。後は掃除、洗濯、食事の用意など、家事や介護に追われている。
 そんな時だった、その人が家に訪れたのは。
「これを渡して欲しいのですが」
 壮年の、綺麗な身なりをした紳士だった。
 何かのデータらしいディスクを持って、突然訪ねてきたのだ。マスターは眠っていたので、僕がかわりに受け取ることになった。
「先生は、元気ですか」
 先生、というのが、マスターのことだとすぐに気づかなくて、僕は小首を傾げる。お茶を持ってきたミクに目配せしても、彼女もきょとんとした顔になっていた。
「もしかして、知らないのですか?」
「えーと、マスターは、あまり自分のことを話さないので……」
 むしろ、話してくれるけれど、どこまでが真実なのかがわからない。困ったようにミクに目で助けを求めてみたが、彼女は慌てて首を横に振る。
 僕らには人間らしく振舞えるように、感情を学習し、少しずつ個性としての人格を形成するプログラムが組まれている。マスターにあわせて色んな人間のフリをして過ごしていた僕らは、機転が利く方だと思っていたけど、どうやらそうでもないみたいだ。
 紳士は少し考え込んだ後、時計を見る。納得したように頷いて、襟元を少し緩めた。
「せっかくですし、先生が起きるまで、少し昔話でもしましょう」
 にこにこと微笑んで、紳士はミクの出した紅茶に口をつけた。



 紳士は鞄の中から少し大きめの手帳を取り出す。
 難しい言葉がびっしりと詰まったページの間に挟まっていた、色あせた写真を僕らの前に差し出した。
 三十歳前後の着飾った女性と、彼女の前に立っている、制服姿の少年。この二人の顔に、何だか見覚えがある気がして、僕は写真と記憶の中にある顔をしばらく比べていた。
 答えは割りとすぐにわかった。基本的に、僕らはマスターにつきっきりだったから、交友範囲はそう広くない。数少ない知り合いの中から心当たりを探すなんて、造作もないことだった。
「これ……若い頃のマスターと貴方ですね」
 数十年の時が容貌を変えても、雰囲気は残るものだ。この女性はマスターで、少年は目の前にいる彼だろう。
「よくわかったね。そうだよ。これは私が初めてピアノの発表会に出た時に、先生と一緒に撮ったんだ」
「ピアノの先生だったんですか!?」
 僕の隣に座っていたミクが、ソファから身を乗り出す。紳士は頷いた。
「当時はなかなか著名な人だったんだよ、君たちのマスターは。早くにあっさりと引退してしまったから、今ではほとんど知られていないけどね。授業は厳しかったけど、時間がある時には楽しそうに弾き語りをしてくれたり、先生の恩師のことを聞かせてくれたり、私にはいい先生だった」
 それから彼が話してくれたことは、僕とミクも知っていることが多かった。
 カイトという名前の夫がいて、子供は息子と娘が一人ずつ。三軒先の家に友人が住んでいて、夏場には庭でバーベキューを。恩師は隣町に住んでいたので、少し遠出した帰りによく立ち寄って話をして。先輩は自分でお金を溜めて留学した先で、結婚して幸せになったって。
 何度も聞いた。聞かされていた。嘘ではなかったんだ。
 ただ、あまりに昔のことだったから、誰も知らなかっただけで。
「――だけど、先生が海外でソロ公演を行った時にね……」
 家族と、親友と、恩師と、先輩と。みんな喜んで駆けつけてくれるはずだった。
 彼らが乗った飛行機が、墜ちてしまわなければ。
 誰も助からなかった。誰も戻ってこなかった。
「ショックを受けた先生は、演奏ができなくなってしまって、公演は急遽取りやめになった。それから、あの人はぱったりと音楽をやめてしまったんだ。事故は先生のせいではないけど、きっと責任を感じてしまったんだろう」
 誰が悪いわけでもない。
 ただ、悲しい偶然が重なったせいで、全てを失ってしまった。
 僕は楽しそうに、僕を別の名で呼ぶマスターの笑顔を思い出していた。生きていてほしかった。ただそれだけの思いが、マスターに僕とミクを懐かしい名前で呼ばせるのなら、僕らはどうすればよかったんだろう。
 マスターはどうしたら、幸せになれるんだろう?
「だけどね。数十年ぶりに私の元を訪ねてくれた先生が、一曲作って欲しいと頼みにきてね。本当に嬉しかったんだ。先生はようやく、あの日のことから立ち直ってくれたんだってね。君たちのおかげかな」
 僕とミクは驚いて顔を見合わせた。
 この家に、楽器はない。音楽を再生する機器類も、テレビすらない。マスターが徹底的に、自分を音楽から遠ざけた結果だ。
 その静かな家で、僕らはマスターの思い出を壊さないように、役割を演じ続けてきた。
「それ……いつ頃の話ですか」
「半年くらい前かな。病院にいった帰りに、私の家に立ち寄っていかれていたよ。一回につき一時間くらいしかいられないから、なかなか進まなかったけれども、ようやくできたんだ」
 そういえば、前は病院が早く終わった時には迎えに来て欲しいと連絡があったのに、最近は滅多にこなくなっていた。きっと、この人のところに行っていたんだろう。
 それにしても、何で作曲の依頼なんてしたんだろう? マスターは立ち直ったわけじゃなくて、今でも歌を聴けばふさぎこんでどうにもならないくらいなのに。
 疑問に思ったけれど、聞けなかった。聞いちゃいけないような気がした。ミクもきっと同じだったんだろう。隣で不安そうに目配せをしてきた。
 その後、結局マスターは起きてこなかったので、紳士は僕らにディスクを預けて帰っていった。起きた時にマスターに渡すと、いつも通りの笑顔でにこにこと受け取ってくれたけど、何の曲が入っているのかは教えてくれなかった。
 僕らはそのすぐ後に、月に一度の定期メンテナンスのために、入れ替わりで数日ずつ家をあけなければならなくて、普段は分担していた家事を一人でこなすことになった。そうしている内に、ディスクのことは自然と触れないことになっていて、緩やかにまた、時が過ぎた。

 マスターが亡くなられたのは、それから季節が一巡りした初夏のことだった。



 人は死んだら、雲の上に行くんだという。
 雲の上にある国には、死んでしまった人が待っていて、迎えてくれるらしい。
 精一杯に生きた人じゃないとそこには行けないのだと、いつの日かマスターが言っていたっけ。
 マスターは精一杯に生きただろう。眠るように、静かに冷たくなったあの人は、きっと迎え入れてもらえただろう。
 僕は思い出す。マスターが寝たきりになって以来、歌わなくなったあの歌を。
 大切な人がいなくなっても、歩き続ける意味はなんだろう。
 その道が希望へと続いているから? 希望は、死んだ後に行ける、雲の上の世界のこと?
 歩き続ける、意味はなんだろう。
 ――僕には、よくわからない。



 葬儀が済んで、空っぽになった家に僕とミクが帰ってくる。
 寝室に行っても、マスターはにこにことした笑顔で迎えてはくれなかった。
 二人で静かに座り込んでいると、インターホンが鳴った。
 お葬式の時に何か忘れただろうか。あんまり意味がないから、届けてくれなくても別によかったのに。
 僕らはそう遠くない内に処分されるだろう。
 マスターには、僕らを引き取るような身内はいない。借りに中古として売られるにしても、僕らは今ではかなりの旧型だから、市場価値はそれほどない。あっても、初期化されて今までの人格記録は飛んでしまうだろう。
 僕らにできるのは、終わりの時まで、せめてマスターのいたこの家で静かな余韻にひたることくらいだ。
 もう一度、インターホンが鳴った。よほどの用事だろうか。
「……誰だろう?」
 渋々と出た僕らの前に現れたのは、いつぞやの紳士だった。
「この度は、ご愁傷様でした」
 沈痛な面持ちで僕らに頭を下げた後、彼はマスターの遺影に手を合わせた。
 そして僕らに向き直った彼は、念を押すように尋ねる。
「お二人は、今後の行き先は決まっているので?」
 ミクが僕よりも先に首を振った。
「いいえ。この家の権利がどうなるかもわかりませんし、私たちには人権もないので、おそらく回収処分になると思います」
 僕もそれに頷いた。権利者であるマスターがいなくなった以上、僕らにはもうどうしようもないし、何をしていいのかもわからない。役目を終えて眠るのも、悪くないと思っていた。
 雲の上に行けない僕らは、もうマスターに会うこともない。
「それなんだが、この家は君たちが使っていてもいいんだよ」
 彼のいったことの意味がわからなかった。驚いて隣を見ると、ミクもぽかんと口を開けて驚いている。
「だけど、僕たちはマスターがいなくなって、所有権のはっきりしないアンドロイドだから……」
「君たちの人権は保障されている。申請は受理されているよ。私が保証人となったから間違いない」
「人権の申請登録をしたんですか!? 一体誰が……」
 思わず声を上げた僕の服のすそを、ミクがそっと引っ張る。
「……お兄ちゃん、そんなことできるの、マスターしかいないよ」
 そうだった。マスター以外にありえない。だって、僕らを購入したのはマスターで、マスターには他に家族もいなくて、人権の申請は原則として所有者しかできないものだから。
「そう、先生は君たちの人権を保障している。遺産は半分が公共団体に寄付され、もう半分は君たちのものだ。この家も含めてね。私は君たちの後見人という形になる」
「そんな……だって」
「見るかい。遺言がある」
 彼から一通の手紙を受け取って、僕らは封を切る。二枚は、マスターの署名が入った僕らの人権登録書。あとの一枚は財産の相続に関する書類。
 それとは別に、ジャケットに盤面にも何も書かれていないディスクが一枚。
 ミクが取り出す。それは、この紳士と初めて会った日に彼が持ってきたものと同じだった。
「聴いてみるといいよ」
 促され、僕らはリビングにあったパソコンを立ち上げて、ディスクを入れた。メールのやりとりくらいにしか使っていなかった旧式のパソコンは、起動が遅くて僕らをいらつかせる。ようやく立ち上がったエクスプローラーのフォルダに、シンプルなアイコンの音声データがあった。
 プレイヤーにかけると、オルゴールのような機械音声が曲をかなで始める。
 歌詞はないけれど、仮のボーカルも入っていた。
 男と女の合唱。それは――。
「これ、私とお兄ちゃんのための、曲?」
 ミクが呟く。
 僕もそう思っていた。
 ピアニストだった僕らのマスター。音楽の先生だった、僕らのマスター。昔はきっと、楽しそうに歌っていたんだろう、僕らの大好きなマスターが、僕らのために用意した曲。
「マスターは、僕らのことを、もう死んだ家族や、友達とかだと、そう……思っていたんじゃ」
 本当の名前を呼ばれることすらなくなっても、辛くなかった。
 デフォルトの名前なんて僕らにはたいして重要じゃなかったし、マスターが幸せでいることが僕らの幸せだったから。
 あの嘘は、マスターが幸せでいるための嘘だったから。
「先生は、私にこの曲を用意させた時に、君たちを買った理由を教えてくれたよ。僕が作曲したといったけどね、本当はアレンジをしただけで、元は先生が作った曲だったんだ」
「でも……マスターは私にも、お兄ちゃんにも、最後まで歌をくれなかったよ!」
 ミクが詰め寄るのを、僕は止めた。彼は苦笑いをして、ソファに座るように促した。オルゴール調の音楽が響く中、彼はもう一つ封筒を取り出す。
「この曲は、あの事故がなければ先生が公演で歌うはずのものだった。代わりに歌って欲しかったんだよ」
「歌を聴くことができないくらい、苦しんでいたのに?」
 ミクの問いに、彼が封筒を差し出す。僕が受け取って、封を切った。シンプルな便箋に、マスターの綺麗な字が並んでいる。
『私の人生の最後の数年間は、優しい嘘の中での旅でした。』
 はじまりに書かれていたのは、その一行。
『多分、私はあの人たちが生きて、幸せになっているような、そんな幻想に浸りたかったのでしょう。そうすれば、あの日私の中で潰えた歌が、戻ってきてくれるように思いました。』
 その手紙は、懺悔だったのか、追想だったのか。
『私はもう年老いて、あの日のようには歌えませんから、代わりに歌ってくれる娘を側に置きました。娘を側に置くと、今息子も欲しくなったので、もう一人迎えました。幼くしてなくなった私の子供達は、成長したらこんな風だったのでしょうね。
 あの子たちを迎えてもまだ、歌を聴くと苦しくなる気持ちは残っていました。歌を与えることをためらいました。
 二人とも良い子です。私の世迷いごとにも笑顔でつきあってくれました。歌うための存在なのに、私の前では気を使って歌わないでいてくれました。私がいない間、密かに歌っているのを聞き、申し訳なさで胸がいっぱいになりながら、それでもなお、歌を恐れている自分に失望しました。
 いえ、きっと違うのでしょう。私を恐れさせていたのは、あの子達に歌を与えることで、この時間に終わりが来てしまうことでした。本当のことを言うのをためらいました。
 私の思い出を守るために、あの子達がついてくれた嘘の時間があまりに優しかったので、私は最後まで甘えてしまいました。
 甘えすぎて、あの子達に歌を教えてあげる時間がなくなってしまいました。
 せめて歌だけでも、あの子達に残してあげようと思います。』
 そこで、文章は一度途切れる。
 数行の間を空けて、最後の一行があった。
『優しい嘘の中の旅はもうおしまい。私は雲の上で、あの子達の歌を待つ事にします。』
 僕らは、どんな顔をしていたんだろう。
 泣きそうだったのか、呆然としていたのか、微笑んでいたのか、怒っていたのか。
 何だかよくわからなかった。起動してからの数年間でたっぷりと学習した感情回路でも、今の気持ちに名前をつけることなんてできやしない。
「……僕らは、機械だから、雲の上にはいけないと思います」
 考えに考えた末に呟いたのはそんな一言で、それを聞いた彼は声をあげて笑った。
「何がおかしいんですか」
「おかしいというか、微笑ましい悩みだと思ってね」
「真剣です!」
「じゃあ、いいことを教えてあげよう。ものすごく長い間使われてきた道具は、魂を持ってつくも神になるそうだよ。この国に伝わる、大昔の伝承だけどね」
「そのツクモガミとやらになるのに、あと何年、頑張ればいいんですか、僕らは」
「さあ……九十九と書いてツクモっていうぐらいだから、あと九十年以上は頑張らないといけないからね」
「そんなに稼動していたら、僕らは立派なアンティークになりますよ! 大体、この歌、詞がないですよ、どうやって歌えっていうんですか!?」
「そこだよ」
 彼は笑って、僕とミクをそれぞれ見つめる。
「先生が作ったその曲には、ちゃんと歌詞があったはずなんだ。だけど、詞がない状態でこれを君たちに渡した。そのことに意味があるんだと思う。先生は言っているだろう? 雲の上で君たちの歌を待つって」
 そんなの、勝手だ。
 僕はあんなに優しくて、大好きだったマスターに初めて、腹を立てている。
 もう止まってしまって、二度と目覚めなくてもいいと思っていたのに。マスターがいないなら、動いている意味なんてないと思っていたのに。
「お兄ちゃん」
 ミクが、少し困ったような顔で笑う。
 肩をすくめて、仕方ないな、って感じで。
「一緒に、素敵なアンティークになろうね」
 かわいい妹にまでそんなこと言われたら、やるしかない。
 つられたように、僕も笑う。
 九十九年生きて、アンティークなツクモガミとやらになって、いつか雲の上でマスターに歌を聞かせなければならないから。
 嘘ではなくて、僕らが生きてきた本当を、詞に綴って。

 ――九十九年も経てば、重い機械のこの身体だって、きっと空を飛べるだろう。



 幾度となく、季節は巡る。
 出会いの日を越えて、別れの日も越えて、巡っていく。
「僕らは立派なアンティークになったな」
 僕はカレンダーの西暦を見ながら呟く。
 ミクは最近がたついてきた窓枠を力いっぱい引いてようやく窓を開けると、ため息をつく。
「この家はアンティークを通り越して遺跡だわ」
「なら、もっと街にでて働いて、この家を改築できるくらいのお金稼いでみる?」
「いやよ、カイト。この家も私たちも、今や街から文化財扱いなんだもの。新しくしちゃったら意味がないわよ、きっと」
 ミクが僕のことを名前で呼ぶようになったのはいつごろだっただろう。五十年くらい前だっけ。確か、ずっと一緒にいすぎて、兄妹というよりは熟年夫婦みたいになってきたから、名前で呼び合うことになったんだった。
「見学客もいない文化財だけどなぁ」
「それどころか、幽霊屋敷扱いだわ。知ってる? 音楽家夫婦の霊とか、兄妹の霊とか、師弟の霊とか、友人達の霊とか、色々言われているみたい」
「……設定、使い分けすぎたかなぁ」
 僕らは、今でも時々、マスターがいた頃のように役割を演じてみることがある。
 違う名前で呼び合って、違う設定でじゃれあって。
 もう偽りの世界を演じる必要はないけれど、マスターと三人で過ごした懐かしい日々を思い出すように戯れる。
 そして、裏庭で歌う。
 果てしなく遠い道のりを歩き続ける、若者の歌。

 僕らはあの曲にまだ、詞をつけていない。
 何十年も時が過ぎて、アンティークになっても、まだ僕らは歩き続けている。
 ゆっくりとゆっくりと、時々嘘の時間を交えながら。
 雲の上にいけるくらい僕らの回路に魂が宿ったら、その時初めてこの歌は完成するだろう。
 大切な人はもういないけれど、大切な時間はここにある。

 ――僕らの旅する道は、希望へと続いている。


END.
posted by さわのじ。 at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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