2010年10月16日

【君詩過去編】君に捧ぐ、追想の詩。

もうものすんごい前にピアプロ書いた(去年の兄さん誕生日祝い)長編小説「君よ謳え、楽園の詩。」の過去編です。最早待っている方がいるかも疑わしいし、このブログには本編を掲載していないので、どうなのかとも思ったのですが、まぁ、いいか、とか。
赤青年長組みメインです。ちょっとだけミクさんも出るぜよ。

一応これ単品でも読めるようにしたつもりですが、本編を読んでからの方がミッシングリンクが色々埋まるかもしれません。というか、この話が本編のミッシングリンクを埋めるために書いた話です。本編では若干投げっぱなしジャーマンのまんま終わっていたアレやソレのことです。

戦争に関するお話につき、死にネタとか欝展開とかガンガンでてくるので、欝苦手な方はご注意を。

本編から読んでやってもいいのよ、という方のためにピアプロのまとめブックマーク。
http://piapro.jp/bookmark/?pid=ryokuin&view=text&folder_id=102892


ちなみに、これはネタ的に結構暗い!重い!痛い!の三拍子なので、ピアプロには掲載せず、にゃっぽんとブログのみの公開となります。以上をふまえまして、続きから本文へどうぞ。







【君に捧ぐ、追想の詩。】

 鈍色の空に響くのは、乾いた風の泣き声だけだ。
 もうどこにもあの歌は聞こえない。
 余韻すらも残さずに消えてしまった。
 手に持つ花は、汚染された空気に枯れてカサカサになっている。
 乾いた風が彼の手から枯れた花の残骸を散らしていく。
 彼の青い瞳は、その行く末を見つめていた。
 いつまでも。

 ――いつまでも。



 人類が世界規模の戦争をはじめたのは、一体いつからだっただろう。
 カイトは、よく覚えていなかった。正確には、覚えているけど、わざわざデータを参照してまで情報を引っ張り出す気になれなかった。
 ただ、少なくとも造られてから二年ほどは、自分はただの『ボーカロイド』だったはずだ。だから、多分そのあたりに世界情勢が急転直下で崩れ落ちて、終わりなき戦争に突入したんだろう。
 地球を容赦なく焼き尽くしていくこの戦争は「国境なき戦争」と呼ばれている。
 今ではすでに世界のどこにも、国家は存在しない。あるのは、国家の名前を名残として残した都市だけだ。放射能汚染から隔離された、都市全体を覆うドーム状のシェルターシティで生き残った人々は、他のドームと食料や資材を奪い合いながら生き延びている。
 人間はもう、ドームから出ては生きられない。
 だから――他のドームを襲うのは、人間の役目じゃなくなっていた。
「あら、今回は同じ部隊だったのね」
 茶髪の女性型アンドロイド――メイコが、岩陰から遠く砂埃にかすむシェルターを見つめるカイトの隣に腰を下ろす。
 いつもの赤いノースリーブの上着とタイトスカートではなく、支給された飾り気のないシャツと作業ズボンを履いている。カイトの格好も似たようなものだ。
 マスターからもらった大切な私服を汚染地域に持ち込むのは遠慮願いたいから、カイトはこれでもかまわないと思っていた。メイコも似たようなことを考えているはずだ。
「今日は偵察だけでよかった」
「そうねぇ。やっぱり本番は気が乗らないもの」
 そんなの、気が乗る方がおかしい。カイトはそう思いながら、口には出さなかった。口に出したその瞬間に、それはただの八つ当たりになってしまうから。
 カイトたちのホームとなるシティから百キロほど。他のシティに向かう拠点に使うには辺鄙な位置で、規模から見てもあまり物資を抱え込んでいるとは思えない小さなドームが、今回の“標的”だ。
 上に立つ人間が、色々と大義名分を掲げていたけれども、実際のところは「食料や物資が足りなくなってきたから、比較的近場の弱い都市を襲撃してとにかく片っ端から狩ってこい」という感じなのだろう。
 いつか必ず万策尽きる時が来るとわかっていても、人間は消費しながらでないと生きていけない。そしてカイトたちアンドロイドもまた、そんな人間たちがいないと動いてはいけないのだ。
 そうして、人間の隣人であるべく作られたはずのアンドロイドは、殺戮の兵器になった。放射能汚染の進んだ外の世界でも活動できるアンドロイドは、今では他のシティを攻略するためにかかせない武器だ。多くのアンドロイドがかき集められて、この戦争に導入されている。元から軍用として作られたのはごく一部で、ほとんどは戦前から存在したアンドロイドを軍用に改修したものだ。
 カイトもメイコも、そうやって戦場仕様にされたアンドロイドである。元は二人とも「ボーカロイド」と呼ばれる、主に歌唱を専門とする音楽愛好家のためのアンドロイドだった。
「歌うことばかり考えていた頃が懐かしい」
「感傷に浸るのはおすすめしないわよ。虚しくなるだけだから」
 遠くで、違う班のアンドロイドが動いている様子が見える。僕らも彼らも、特に姿を隠そうとはしていない。
 それなりの規模を持ったカイトたちのシティとは違い、小さなシティは防衛に関する機関はほとんど整っていないのが常だった。だから、偵察といっても、できるだけ時間をかけないでことを済ませるための準備でしかないのだ。
 確かにこんなことは、早く終わらせるにこしたことはなかった。「襲撃」をしている間は感情回路が閉鎖される。だから哀しかったり、怖かったりとかいうことはない。ただ、自分が何を壊していったのかが、記録として残るだけだ。感情記憶の伴わない記録は、実感を伴わない情報の羅列でしかない。
 ただ、虚しくなるだけだ。空っぽの部分が増えていく、それだけのこと。
 人間の意志に反することのできないアンドロイドには、受け入れる以外にできることはない。
「んー……? 百メートル先、生体反応があるわ」
 ドーム周辺をセンサーにかけていたメイコが、モニタを指さす。ここはドームから三百メートルほど離れた位置なので、百メートル先にいるということはつまり、外に出ているということだった。
 カイトも脇からモニタを覗き込む。
「人間が? 防護服は?」
「着てないみたい。普通に生身よ、ホラ」
 放射能だらけの外界で、防護服も身につけずに出歩くというのは即、死につながる。シェルターの外に出ること自体が、異常行動といっていいくらいだ。
 だけど、思わずスコープを取り出したカイトが見たのは、まさしく散歩でもするみたいに私服で歩いている人間の少女の姿だった。
「え、ええ……?」
 思わずカイトは岩陰から身を乗り出してしまう。隣でメイコが呆れたようにため息をついた。
 少女はそのままゆっくりと歩いてこちらに近づき、やがて身を乗り出して呆然としているカイトの姿に気がついた。少しだけ驚いた顔をして、小走りになって、小さなくぼみにつまづいて転ぶ。そのまましばらく起き上がらなかった。
「ええと……」
 カイトは困ったように、メイコを横目で見る。メイコは「武器はもっていなさそうよ」と素っ気なく言っただけだった。
 辺りには誰もいない。だいぶ離れたところで、味方がこちらの(主に不審者である少女の)動きをモニタしているのかもしれないが、どう見ても丸腰だからか、攻撃司令がくだることはなかった。
「あの。ええと、その、大丈夫?」
しばらく無言で横たわっていた少女は、ぴくりと肩を振るわせた。ゆっくりと時間をかけて顔をあげる。土に汚れている頬をぬぐって、きょとんとした顔でカイトの顔を見上げた。怖がっている様子はない。ただ真っ直ぐに、こちらを見据える瞳。
 その瞳が笑みをかたどりながら。
「ねぇ、お兄さんたち、あの町の人を殺しにきたの?」
「え、ええっ!?」
 思わず動揺した声をあげるカイトを、隣でメイコが肘でつつく。うかつな反応をするなと言いたいのだろう。
 少女はそんなことはまるで気にせず、土をほろいながら立ち上がる。
「えーと、その、お願いですから、この町を攻めないでください。この町には何もありません」
 棒読みだった。恐ろしく感情がこもっていなかった。この少女の方が機械なんじゃないかと思うくらいに。
「それをいうためだけに、ドームから出てきたわけ?」
 メイコも毒気を抜かれたのか、やや呆れ気味の声でそんなことを言う。少女はきょとんとした顔でかぶりを振った。
「違うの。汚染症が出たらみんなドームの外に出なくちゃいけないの。どうせ死ぬ人間だから、いらないんだって」
 これにはさすがに、カイトもメイコも揃って絶句するしかなかった。
 メイコが慌てて生体反応のセンサー範囲を最大値に上げる。すると少女以外にも微弱な生体反応がいくつか引っかかった。多くはドームのすぐそばで、動く気配すらない。恐らく、もう死を待つばかりの人間しかいないのだろう。
「何もないのは、多分ホントだよ。保存食も、ほとんど町の偉い人のところにいっちゃうから」
「そう……なんだ」
「うん。それでも、あの町、攻めるの?」
「それは……僕の一存では何とも」
「そっかぁ。じゃあ、仕方がないね」
 あっさりと、少女は自分の故郷である町の擁護を放棄した。かわりに少し突出した岩に、すとんと腰を下ろす。
 メイコがどうしたものかとカイトに目配せを送ってくる。カイトだってどうしたらいいのかわからない。
 たとえにろくな物資がなくても、ゼロではないのなら襲撃は決行されるだろう。アンドロイドの偵察兵がもたらした情報くらいで、あのシティの運命は変わらない。
 ――僕らの運命も、変わらない、か。
 カイトは少し苦笑いをしながら、少女の頭を軽くなでる。彼女は抵抗しなかった。むしろ嬉しそうですらある。撫でられた頭を嬉しそうに自分でも撫でている。
「家族はまだ町にいるのかい?」
「ううん。パパもママも外だよ。だからね、ちょっと嬉しい。パパとママにやっと会えたから。ドームの壁越しにしか会えなかったから」
「パパとママは、ドームの近くにいるのかな」
「うん」
 カイトはドーム付近で動かない生体反応のことをちらと思い出す。あれは、きっと、外に出されたものの家族と離れがたくてドームの近くでじっとしている人間が多いからなんだろう。どこかに助けを求めようにも、他のシティは歩いてたどり着けるような距離ではないし、何よりも汚染された空気の中では生き延びることなど不可能だ。
 改めてこの少女のことを観察してみる。ゆるく三つ編みにした髪の毛は、放射能を含んだ風と埃に荒れ果てて、見るからに痛んでいる。手足は痩せて、とくに指先は土で汚れてぼろぼろになっている。まるで素手で穴でも掘っていたみたいだった。
「その……パパとママは、今はどうしてる?」
「お墓の中」
「……自分で作ったの?」
「うん。だから、外に出られてよかったなぁ、って」
 多分、歳は十二かそこらだろう。小柄でやせ細っているからそう見えるだけでもう少し歳は上かもしれない。
 だけどそれでも、そんな歳の子供が、笑いながらお墓を作っていたという。おそらく、彼女が外にいく前に死んだのであろう、変わり果てていたはずの両親の墓を。
 足をぶらぶらと揺らしながら、少女は無邪気に微笑む。
「ねぇ、お兄さんお姉さん、名前、教えて?」
「あのねぇ、私たち、一応敵なのよ?」
「うん。でも、お兄さんもお姉さんも、私のこと殺そうとはしないでしょ」
「今は、だよ」
「それでもいいよ。ねぇ、お友達になって。今だけでいいから」
 名案だといいたげに瞳を輝かせる少女に、カイトとメイコは困ったように顔を見合わせた。そういう指示が出ていなければ、二人とも基本的には「ただんぼボーカロイド」だった時と変わらないメンタリティを保持している。つまり、人間に危害を与えず、温厚に歌を愛するという本来の人格設定のままなのだ。もちろん、目の前にいる少女を殺すなんてとんでもないと思っている。
「あたしは遠慮するわ」
「メイコ……」
「撤収するわよ。その子のいうとおり、あのシティには抵抗する余力なんてなさそうだもの。他の班も、特に障害になるようなものに関する報告をしてきていないしね」
 センサーの類を片付けながら、メイコは淡々と事実を告げる。
 こういう時の割り切り方を、彼女は実に心得ていた。逆に言えば、それくらい割り切らないと「兵器としての自分」を受け入れることなんて、できやしないのだ。
「戦争が始まる前に出会っていたら、いい友達になれそうだったのに、残念ね」
 それだけ言い残して彼女は、肩に機材の入ったバッグを背負う。きびすを返して数歩行き、ちらりとカイトを振り返った。
「お別れは早く済ませといた方が、後で酷い想いをしなくていいわよ」
 メイコの言葉は実に的を得ている。すぐに殺す相手と仲良くなっても、待っているのは悲劇でしかない。
「あ、メイコさんっていうんだ。バイバイ」
 カイトが呼んだ名前を、微笑みながら口にして、手を横に振る少女。
 思えば、すぐにメイコの後を追うべきだった。そうするのが、お互いに一番傷が少なくて済むことだった。この少女にしても、変に仲良くなったアンドロイドが慈悲もなく自分を、故郷を滅ぼす場面など見たくはないだろう。
 そう考えているのに足が動かなかったのは、まだメイコほど事態を割り切れていなかったからだ。元々、思い切りがよくさっぱりとした人格を設定されているメイコとは違って、カイトは極めて穏やかで優しい人格を設定されている。兵器改造を受けた後も基礎の人格が変わっているわけではないので、思考が現実についていけないということは、今までにも何度かあった。実際の行動時には人格は関係ないので、兵器としての運用には問題はなかったのだが。
「撤退命令時には戻ってきなさいね」
 メイコは無理にカイトを連れて行こうとはしなかった。
 歩いていく彼女の背を見送り、カイトはどうしたものかと考える。残ってしまったものの、何をどうする気なのか自分でも不明だ。
「お兄さんの名前は?」
 少女が尋ねてくる。少し考えてから、カイトは正直に答えた。
「カイトだよ」
「アンドロイドなんだよね。戦争するために作られたの?」
「違うよ。戦争をするために作られたようなタイプのだったら、君は今頃とっくに死んでいると思うよ」
 実際のところ、初めから兵器として作られた軍用アンドロイドは、今ではほとんど残っていないはずだ。だからこそ、カイトのような本来は軍事的な機能は一切もたないアンドロイドまで兵器登用されることになった。兵器となるのも、兵器を動かすのも、今では全て機械の仕事だ。人間はドームから出られない。
「じゃあ、どんなアンドロイドなの?」
「ボーカロイド……だった、よ。歌うのが仕事」
 言葉に詰まって、過去形にした自分に苦笑を漏らす。こんなに世界が荒れてしまってもまだ、戦争は終わらない。もしかすると、カイトやメイコがボーカロイドに戻れる日は、もう永遠に来ないのかもしれない。
「歌って暮らすの? 楽しそう」
「楽しかったよ」
「じゃあ、これも歌える」
 灰色に濁った空を見上げながら、少女は歌いだした。
 その声は話している時よりも枯れ、まるで喉が引き裂かれたかのよう。
 それでもカイトはボーカロイドだった時の習性で、音程をひとつずつ記録に刻み付けていく。一部曖昧な部分は、音楽理論でいけばおそらくこうだろうと思う音を変わりに当てはめた。
「へたくそでごめんね。あまり上手く歌えなかったね」
 苦笑いをする少女に、カイトは自分の得意なキーに合わせて、彼女の歌った歌を繰り返した。

 鉄と火薬の匂いがするよ 灰色の空に錆びた雨降る
 君の思ったあの夢はもう 過去の幻儚く消えて

 穏やかなメロディーなのに、何だか悲しい歌詞だった。
 カイトがこうして名も知らぬ少女から歌を教えてもらっている時間も、儚く消えていくことだろう。この町が攻め落とされるのは明後日だ。

 いつか君の元に僕が 行くことを許されるなら
 いつか君が口ずさんだ あの歌をまた聴かせて
 あの歌をまた聴かせて

「上手だね、カイト。ボーカロイドってみんなそんなに歌が上手なの?」
 少女が嬉しそうに笑顔を輝かせるのが、カイトの後ろめたさに拍車をかけた。自分は何をやっているんだろう。この少女と仲良くなったところで、どうにもならない。明後日にはあの街は洗浄になる。この少女は、汚染区域の中で、果たして明後日まで生きていられるだろうか? 彼女の出身を隠して難民として保護するにしても、汚染症を発症しているならばシティは引き取らないだろう。延命をすることもなく、待っているのは安楽死という、戦場で死ぬよりは幾分綺麗に死ぬ権利だけだ。
「ねぇ、カイト」
 どうしてこの少女はこんなに無邪気でいられるんだろう。どうしてこれから自分を滅ぼそうとしている相手に、微笑むんだろう。
 答えは、すぐに出た。
「この歌を、忘れないでね。これは私のお父さんとお母さんが作った最後の歌なの」
 ――ああ、そうか。
 もうこの少女にとっては、敵も味方も関係ないのだ。
 こんな子供なのに、すぐに死んでしまうという事実を受け止めてしまっているからだ。そして、受け止めた上で自分の言葉を記憶してくれる相手がいることを喜んでいる。
「お父さんも、お母さんも、作った歌が“国をぼうとくしている”から、外に出されたの。私がドームに残されたのは“おんじょう”なんだって。でも結局すぐに外にきちゃったから、一緒にきたかったなぁ」
 この世界には、もう『国』はない。あるのは『国』の名前とシステムを引き継いだ、ドームの中の小さな社会。
 その小さな社会を維持するために、たくさんの人が酷い目にあった。
 カイトはそれを知っていた。彼を作ったマスターも、小さな社会を守るために歌を奪われた人だったから。
 ただ、マスターが違ったのは、カイトやメイコをスクラップにしないために、自ら社会の意思に従ったことだった。カイトとメイコに人殺しをさせることになっても、実の子供のように愛を注いだボーカロイドを廃棄することはできなかった。
 だから、カイトは――メイコだって、マスターを責めない。どんな苦痛が待っていても、稼動し続けることがマスターの望みならば、兵器となることも拒まなかった。できれば自分の後に作られた妹や弟たちまでも、同じ道をたどらないで済むようにと願いながら。
「……忘れないよ。僕たちの記憶情報はね、回路が壊れないかぎりは永遠だ。僕が止まる時まで、この歌は持っていくよ」
「ありがと、カイト」
 屈託なく笑う少女に、カイトは心の中で謝罪した。
 忘れないだろう。記録は削除されないかぎり、残る。嘘じゃない。
 だけど、この少女と別れたら二度と、自分はこの歌を口ずさむことはないだろう。この歌にこめられた想いは、カイトには少し重すぎた。メイコならもう少し上手く割り切れたのかもしれない。
「カイトは、優しいんだね」
 苦悩が顔に出てしまっていたんだろうか。岩の上から少し背筋と腕を伸ばした少女が、カイトの青い髪をくしゃくしゃと撫でる。小さい子にするようなしぐさに、カイトは少し恥ずかしくなって身を引いた。
「優しくないよ」
「優しいよ。だって、私のお願いをちゃんと最後まで聞いてくれたもん」
 岩の上に再びペタンと座り込んで、彼女は今度は鼻歌を鳴らした。

 煙たなびく空の彼方で
 君に会いたい とても会いたい

 どんな気持ちで、彼女の両親はこの歌を残したんだろうか。
 人間の魂は死んだら空に昇るという。それは歴史のはるか彼方から、様々な国の人々にずっと受け継がれてきた物語だ。空の向こうにいる「君」を想う歌は、生きている人間のために残されたもの。
 それを、人間ですらないカイトに残して、彼女は空に行くという。
「僕は……機械だから、きっと空の彼方にはいけないね」
 呟いた僕に、少女は鼻歌をやめる。岩から降りて、少しだけよろめいたところを慌ててカイトがすくいあげた。
 カイトの腰に頭をうずめて、少女はしばらくの間、無言で体を預ける。
 どれほどそうやって二人、立ち尽くしていたのか。
 不意に少女が顔を上げた。
「ねぇ、カイト。もうひとつ、お願いがあるんだけど」
「……何?」
「もし、次に会う時にまだ私が生きてたらね、私を――」
 その先がよく聞こえなかった。
 多分、記録を拒否したんだろう。兵器としてではなく、ボーカロイドとして設定されている本来の人格形成回路が、有害な情報として処理したということだ。
 数秒のフリーズ。少女が、不安そうに眉を寄せる。
「か、カイト、どうしたの?」
「――ん? あ、ああ、大丈夫だよ」
 彼女が何を言ったのか、記録されなくても予測がついた。記録拒否をされるような反応ワードはそう多くない。状況から考えて、彼女が何を言ったのか予想はついていた。
 メイコはやっぱり正しかった。あの時、多少罪悪感を感じてでも少女を置き去りにしていくべきだったのだ。
 だけど、カイトは今ここにいる。少女はまだ生きている。願いがある。カイトはもう、その願いを聞いてしまった。理解してしまった。
 よせばいいのに。そう何度も自分を引き止めた。
 だけど、彼女が伝えてくれた歌を忘れないなら、それだけは聞いておかなければならないとも思った。
「……君の名前をまだ聞いていないよ」
 少女はきょとんとして、だけどまた微笑みを浮かべて答えた。
「私の名前は――」
 今度は、その先に囁かれた名前をきちんと最後まで聞いていた。記憶に刻み付けられた。
 だけど、カイトはその名前を呼ぶことができなかった。あまりにもよく知っている名前だったからだ。

 彼女の名前は――。



『ミクが兵器登用されることになりそう、って』
 例の街に攻撃をする前日。メイコから入った通信は、カイトの心を更に重く沈ませるにはじゅうぶんなものだった。
 ミクは元々が兵器改造に向かない十代の少女の型なので、戦場にいくことなかった。どちらかというと軍病院での助手や、慰安で歌ったりという仕事が主だった。人手不足は戦場だけではなかったからだ。これはカイトとメイコにとって――マスターにとっても、唯一の救いだった。
 それが、いよいよミクも兵器として駆り出されることになったとすると、このシティもかなり末期の段階に足を踏み入れたのだろう。
『詳しくは、次にメンテナンスの時に聞くことになるわ。……そんな顔しないの。あんたのせいじゃないんだから』
 ホログラム通信なので、お互いの姿は立体映像となってそれぞれの目の前に表示されている。目の前で困ったように肩をすくめるメイコは、しかしすぐに顔を引き締めた。
『あんた、結局撤退命令が出るぎりぎりまで、あの女の子のところにいたけど、何を話してたの? 愛着をがわけば後が辛いってわかってたでしょ』
「別に、たいした話はしてないよ。彼女が歌をうたっているのを、横で聴いてただけだ」
『本当にそれだけ?』
「うん。どうせ作戦中は何もわからない。せいぜい、作戦中に彼女に会わないことを祈っておく。後で記録を見てしまったら憂鬱になるだろうし」
『まぁ、誰が死んでも憂鬱になるのは間違いないわね』
 ホログラムのメイコが、もう一度肩をすくめた。
『何かあったらあたしに言いなさい。マスターには自由に連絡ができないし、他のアンドロイド相手じゃ言えないこともあたしには言えるでしょ?』
「うん、わかったよめー……メイコ」
『昔みたいにめーちゃんって呼んでも、今は怒らないわよ』
 兵器として会う時は、昔のあだ名では呼ばない。それは兵器登用が決まって体を作り変えられた時に、メイコとした約束だった。ボーカロイドとして、家族として過ごした優しい思い出を、兵器としての自分には持ち込まない。そうすることで、ボーカロイドとしての自分を守る。暗黙の了解みたいなものだった。
『個人的に通信している時くらい、ボーカロイドでいてもいいでしょ?』
 いかにも彼女らしい割り切り方だった。カイトには、マネできそうもない。
『あんたは優しすぎて困った子ね』
 苦笑を漏らすメイコに、カイトはただかぶりを振った。
「僕は優しくない。優しくなんてないんだよ、めーちゃん……」
 ――僕は今、どんな顔をしているんだろう。
 メイコはずっと、ホログラムの向こうでカイトの頭を撫でるように手を動かしていた。だけどその手は、カイトの元に届くことはない。彼女にしても、ホログラムの輪郭で手が空を切る感触を味わうことしかできない。
 あの少女が背筋と一緒に伸ばした手も、もう二度とカイトの元には届かない。
 こういう時、人間だったら泣くことができただろう。機械の身体に涙は存在しないことが、これほど歯がゆいとは思わなかった。
『ホント、困った子……』
 メイコの声を、カイトはうつむいて聴いていた。
 メイコはあの日、少女との間に何があったのかをそれ以上聞き出そうとはしなかった。

 その事を、彼女は後に心から悔いることになるのだが、その時二人の間にあったのは、ただ優しい沈黙だけだったのだ。



 十数体のアンドロイドが、護送車に乗って荒野を行く。
 乾いた風は汚染された砂塵を彼方まで運んでいくだけで、命の恵は何一つもたらさない。今日も空は濁った灰色だ。
 他のアンドロイド達を見回しても、無表情に車に揺られるだけだった。この車を運転しているアンドロイドもそうだろう。誰も戦争なんか望んでいない。そういう風に命令されるからこなしているだけで、大半が自分の本来の役目を果たせる環境に戻りたいと願っているはずだ。
 やがて、ドームの近くまできて、護送車が止まる。近くまできても、ドームから抵抗の様子は見られない。元から戦う力などないのだ。これからカイト達は、このドームに押し入って、食料や使えそうな機材、アンドロイドを回収していく。自分達のシティが、このシティのようにならないために。
 ぼんやりとドームの外壁を眺めていると、メイコが駆け寄ってきた。
「カイト、こっちに来なさいよ。一緒の隊で行くわよ」
「……この規模だったら、多分全員一斉に行くんじゃない?」
「そう? ならいいんだけど。あんた、結構気にしてるでしょ、あの子のこと」
 全く言い返すことができない。護送されている最中も、ずっとあの少女のことばかり考え込んでいた。
「気にしていてもいなくても、時間がくれば何もわからなくなる。気にするだけ無駄だってわかっているよ」
「そうだけどねぇ」
 はぁ、と彼女は額に手を抑えてため息をつく。ため息をつく、という行為はボーカロイド独特の表現だよな、とカイトは逃避するようにどうでもいいことを考えていた。人間で言う呼吸器とも呼べる機関があるのは、ボーカロイドが歌唱を目的に作られたからだ。そう思うと、彼女も自分も、こんなに変わり果ててしまってもまだボーカロイドのままなのかもしれない。
 いっそ、ボーカロイドでなくなっていればばよかったのかもしれない。歌を忘れて、優しさも忘れて、ただの道具になれば楽だっただろうか。
 そこまで考えて、カイトはかぶりを振った。そうなれば、最早それは元の人格から大きくかけ離れた、ボーカロイドの機体を素材にしただけの別個体になる。それを望まなかったから、マスターは苦悩の末にカイトとメイコをボーカロイドとしての機能と人格を残したまま、軍に送り出すことになったのだ。
 ――空っぽの部分が増える、ただそれだけのこと。
 後には何も、何一つとして残らない。悲しみさえも、消えてしまう。だから。
「大丈夫だよ、心配しないで」
 カイトの言葉に、メイコは納得いかなさそうな顔で、それでも肩をぽんと叩いた。
「次のメンテナンスの時には、マスターにたっぷり甘えておきなさい」
「うん、そうだね」
「おーい、生体反応でたぞー。どれも微弱。問題なし」
 後ろで、ドーム周辺の生体反応を念のために調べていたアンドロイドが声を上げる。メイコがセンサーを覗きにいったので、カイトも一緒になって後ろから覗き込んだ。前に偵察に来た時と同様、微弱な反応が点在していだけだった。あの少女があれだけ動けたのは、恐らくまだ外に出てそれほど時間が経っていなかったからだろう。
「あ……」
 カイトは見つけた。見つけてしまった。
 あの少女と出会った時、彼女が最初に居たと思しき場所に、まだ微かな光の点があることに。弱々しく、だけどまだ彼女が生きていることを示す証明が――。
「……っ!」
 気づいたら身体が動いていた。
「カイト!」
 つかまえようとするメイコの手を反射的に振り払っていた。
「すぐ戻る!」
 叫んで走り出した。どうせ時間になれば勝手に感情は封鎖されて、嫌でも身体は動く。すぐに仲間と合流して、殺戮と略奪の道具になる。だから本気で止めに入るアンドロイドはいなかった。
 せめて『ボーカロイドのカイト』として、彼女の最期を見届けたい。カイトはそう願った。
 走って、走って、感情が封鎖される数分前にカイトはそこにたどり着く。
 盛り上がった二つの、小さな山。多分、彼女の弱った小さな手では満足に穴を掘ることができず、土や石をかき集めて遺体を隠すのが精一杯だったのだろう。
その山と山の間で、身を縮めるようにして彼女が倒れていた。まだ微かに胸が上下しているのを見て、カイトは助け起こす。
「あ……かいと、だ……」
 茫洋とした眼差しで、少女がこちらを見る。よく見えないのか、何度か瞬きをする。
「ね、いきて、たよ」
「うん、そうだね」
「ドーム、なく、なっちゃう、の?」
「ごめんね」
「かいとは、わるく、ないよ」
 こんな時でも、彼女は微笑む。屈託なく、幸せそうに。
「いいの。もうすぐ、おとうさんと、おかあさんに、あえるもん」
 そんな理由で、幸せそうに。
 そんなものは、幸せとは呼べないはずなのに。もっと他にできることがあっても、よかったのに。
 カイトはそっと彼女の身体を、再び小さな谷間に横たえた。そして、いくつか携帯させられている武器の一つ、小さな銃を彼女の手に握らせる。
「……願いを、叶えてあげるよ」
 できることは、もうこれしかないから。
 少女は手元に置かれた鉄の塊を一瞥しただけだった。それが何を意味するのか、理解できなかったのかもしれない。
「ねぇ、かいと。うたって……?」
 カイトは歌った。彼女が、彼女の両親が最後に残した歌。そして自分が歌うのも、最後になるであろう歌を。

 夢と涙の散りゆく国で
 軋んだ歯車 くるくるまわる
 飢えて渇いた子供の背中
 僕は祈るよ 幸いあれと

 どこで歯車は軋んだ。どうして子供たちは飢え渇いてしまった。何故戦争なんてはじまった。誰も望んでいないのに。
 いや、違う。誰かが望まないと戦争なんてはじまらない。
 そして一度望まれてはじまった戦争は、多くの人を犠牲にするまで終わらない。最早望む人など誰もいなくなってもまだ、終わらせることはできない。
 だから祈っても、幸せになんて届かない。もうこの世界は、終わり行くばかりだから。
 最後の歌が、響く。終わりの時間が迫っている。

 いつか 君が口ずさんだ
 あの歌をまた聞かせて

「――あの歌をまた、聞かせて」
 囁くように紡がれた歌が終わる。
 時間が来た。一気に意識が遠のく。悲しみも、彼女の笑顔も、全てが別世界のできごとように見えない壁に隔たれていく。
「ごめん、ね、かいと」
 彼女の言葉も、単なる音声信号となって消える。

 ――僕は“武器を所持している生存者”である彼女を、一番先に排除することになるだろう。

 だから、早くこの感情を殺して。この場を離れたくなる前に。早く、何もわからなくして。
 強く願う。感情の波が、厚い氷の塊に閉じ込められたかのように冷たく沈んでいく。
 意識が途切れる寸前にカイトが発した言葉は、感情が完全に封鎖された後に声となって彼の口から漏れた。

「サヨナラ……“――”」

 名前を呼ばれて、最期の力で微笑んだ彼女の姿は、何の感情記録も伴わないただの視覚情報として扱われ、不要なものとして圧縮処理された。



 ――多分、僕はあの日からずっとどこかおかしくなっている。

 あれからどれくらいの時が過ぎただろう。
 毎日がくり返しだ。何も変わったことはない。たまにメイコから通信がくる。弟分が心配でたまらないらしい。今日も、彼女から通信が入った。
『ミクがいよいよ兵器登用されるって聞いて憂鬱になってたけど、前線には出さないみたいよ。よかったわ』
 どうやらメンテナンスの時に詳細を聞いてきたらしい。カイトは素直な気持ちでそれを喜ばしく思った。
「本当によかった。直接手を下しにいくのは僕らだけで充分だよ」
『あんた、変わっちゃったわね』
「そうかい?」
『そうよ。思い切りドライになったわ。悟りでも開いたみたいに』
「そうでもないよ。マスターやメイコに心配かけないためにも、しっかりしなくちゃって思っただけ」
『しっかり……ねぇ?』
 釈然としない様子だったけれども、メイコはそれ以上追及しなかった。カイトから言わせれば、メイコもだいぶ変わった。さばさばと言いたいことを言うタイプだったのに、言葉を濁すことが多くなった。まるで触れることを恐れているかのように。

 そして、数日後、二人は久し振りに同じ部隊になった。
 そこで妹の声を聞いた。
 戦場で罪もない人に使われる音響兵器として。
 歌声が人を殺せることを、理解した。

 多分、それが、カイトの中でまだ残っていた何かを全て壊してしまったのだ。



 どうして機械には涙がないのだろう。
 悲しいという感情をプログラム処理できる技術があるのなら、涙を流すように作るくらい遥かに容易いことだったに違いないのに。
 答えは、涙があったらずっと悲しみから抜け出せないからなのかもしれない。アンドロイドは、人間のように時の流れで悲しみを癒すことができない。鮮明さを保ち続ける悲しみは、簡単に思い出せないように記録の圧縮処理をするか、人格に影響がでるのを覚悟で該当する記憶情報そのものを削除するしかないのだ。涙なんてあったら、ずっと泣き続けてしまうだろう。
 ――だけど、それでも、涙が欲しい。
 よく知る名前を持った少女のこと。
 頭の中は処理しきれない悲しみでいっぱいで、カイトは何もない時はぼんやりと何もせずに過ごすことが多くなっていた。そんな中、メイコからまた通信がきた。

 戦争が、終わった。

 最早大きないくつかのドーム以外はほとんど壊滅した今、ようやく人類は生き残るために手を取り合う道を選んだ。兵器登用されていたアンドロイド達も、今後の身の振り方が決まるまでマスターの元へ戻ることができた。
 それはカイトにとって久し振りに、嬉しいできごとだった。久し振りに、少しはしゃいでみたりもした。嬉しいことばかりではなかったけれど、もう無意味に人を殺す道具にならずに済むことにとにかく歓喜していたのだ。
 一度和解してしまえば、人類の行動は早かった。軍用アンドロイドは、すぐさまドーム間で物資や情報を運ぶための作業に駆り出されるようになる。地球はもうどこにいっても汚染されているばかりの荒野で、人類の意識は自然と地球外に向いていく。すなわち、宇宙へ。
 地球上に残されていた宇宙開発の知識と資材があっという間にかき集められ、そして三つの巨大な宇宙船が開発された。まだ健康な人間と、人間が生きていくために必要な動植物を詰め込んで載せるプラントを保有した円盤は、百年も前だったらUFOと呼ばれていたものに似ている。
 それぞれに乗る、健康な人間とまだ稼動可能なアンドロイドが選別されていく中で、カイトは作業のない久々の休日にマスターの元へと戻った。
 マスターは宇宙船に乗る人間には選ばれなかった。歳が歳でもあったし、汚染症の兆候が見られたからだ。一方のカイトは宇宙船に載せられることが既に決まっていた。その決定に依存もない。人間の助けになるのだから、アンドロイドとしては本望だ。
 こうしてマスターに会うことができる日も、もうそれほどないだろう。
 すっかりひと気のなくなった歩道を、カイトはゆっくりと惜しむように歩いていく。
 マスターの家の手前、街路樹の陰で身を隠すようにして、見知った二人が立っていた。メイコとミクだ。
「マスターのところにいくのかい?」
「あたしはもう行ったわ。ちょうどリンとレンが乗務員講習に行ってていなかったのは残念だけど」
 メイコも宇宙船に乗る。彼女が乗る船が一番早くに飛ぶ予定だから、恐らくはマスターに別れの挨拶をしにきたのだろう。
 ミクは静かにかぶりを振った。その声を音響兵器に変えられた彼女は、言葉を発することをしなくなった。恐らく、普通に話す分には問題ないはずだが、きっと人を殺した自分の声を受け入れられなくなってしまったのだろう。
「そうか。リンとレンが戻るまで待っていけば?」
 リンとレンは男女の双子のアンドロイドだ。マスターが唯一最後まで軍から守りきることができた、二人で一組のボーカロイド。戦争に行かなくて済んだ子たちだった。
「いいわ。あの子らに会ったら未練わきそうだし。むしろあんたは頑張って仲良くなっておきなさいよ。同じ船に乗るんでしょ」
「いや、僕も顔を出したらすぐ帰るよ」
 何となく、カイトは件の双子とは会いづらくて顔を合わせないようにしていた。実を言うと今日だって、双子が宇宙船乗務員となるアンドロイド向けの説明会に行くと知ったからきたのだ。
 戦争を知らない双子を前にすると、後ろめたい感情が湧いてきそうだった。望んでやったことじゃないとしても自分はこんなに手を汚してきたのに――実行に移した時は感情が封鎖されていたとはいえ、自分から人を殺すように仕向けた事実は消えないのに、無邪気な笑顔を向けられたりしたら、どうしていいのかわからなくなるだろう。
「……僕じゃなくて、めーちゃんが双子と一緒に行けばいい。今からでも、交換できないのかな」
 カイトが思わず漏らした一言に、メイコは呆れた顔でデコピンをひとつくれた。
「あんたはね、あの双子の元気をちょっと分けてもらうといいわ。この前ちょっとだけ会ったけど、あいつらこんな世界なのにマジで超がつく元気よ」
「でも僕は……」
「それとね。あたしが一人でいくのはね、自分への罰なの」
 口元には笑みすら浮かべて、メイコはそう言い切る。カイトは思わずミクの方を見るが、彼女もきょとんとしていた。
「あの時……あの名前も知らない人間の女の子に会った時にね、あたしは無理矢理にでもあんたを引っ張っていくべきだった。あの時じゃなくても、通信の時にもっと事情をつっこんで聞いておけばとか、最後にあの子に会いにいったあんたを力ずくでも止めていれば、って。何度も何度も後悔したのよ?」
「めーちゃんのせいじゃ……」
「あんたのせいでもないわ。だけど、そんなことを言ってもあんたは納得しないでしょ。あたしも同じよ。だから、あたしは一人でいくの。あんたを救えなかった責任を、宇宙の果てまで抱えて行くわ」
 カイトは、もう何も反論ができなくなっていた。ただ、彼女の言葉の続きを待つ。
「あたしは一人でも大丈夫よ。だからあんたにはあの二人を頼むわ。人を傷つけるのがどういうことか知っているあんただから任せるのよ。あの子たちは、なーんも知らないできたんだからね」
 メイコはにかっと笑って、「じゃあね」と潔く踵を返す。こちらを振り返らない。彼女らしい別れだった。
 カイトはしばらく、じっと立ち尽くして、彼女の背中が彼方に消えるまで見送っていた。
 不意に、ミクがカイトのコートの裾を引っ張る。
 筆談代わりに使っている電話のメモ画面を、見せた。
『お兄ちゃん、泣きたいの?』
 カイトは苦笑を漏らした。
「機械は泣けないだろう、ミク」
 ミクは少しだけむっとしたような顔で、メモに再び言葉を打ち込んだ。
『機械だって泣けるもん。涙がないだけで』
「……? どうやって」
『泣くって、悲しみを外に出すことでしょう? お兄ちゃんは、さっきからすごい悲しそうな顔をしてるよ』
 ミクが懸命に打ち込む言葉を、カイトはじっと追っていく。
『涙がなくても、叫ぶのでも、歌うのでも、泣いていることにならないの?』
 衝撃だった。
 泣くということは、涙を流すことだけだと思い込んでいた。だけど確かに、悲しみを表現する手段が泣くということなら、必ずしも涙は必要ないかもしれない。悲しみの感情を吐き出すことができるなら、それは泣いていると――そう言っても、いいんだろうか。
 それなら、自分は泣いてもよかったんだろうか?
 ――ごめんね、かいと。
 不意に、少女の言葉が耳に蘇る。感情を封鎖された後に聞いたそれは、ただの音声情報として圧縮されていたものだ。
 実はあの事件の後、何度かあのドームの近くには行ったのだ。だけど機械的に処分された感情記録は戻るわけではなく、あの少女を失った悲しみも空虚感に上塗りされたまま戻ってこなかった。もしかすると、自己防衛のために無意識にそうしていたのかもしれない。
 それが今は、彼女の声そのままで耳の奥で鮮やかに再生される。空虚だった情報に、確かに覚えている記憶情報が、彩りを与えてしまう。
 かいと、とかすれた声が、何度も何度も、くり返し再生される。
 よろめいたカイトは、街路樹に背を預け、ずるずるとへたりこんだ。
 ざわり、と清純な風が木々の葉を揺らす。ドーム内の浄化された空調が生み出したその風は、あの日の乾いた砂混じり風とは似ても似つかない。
 ミクが心配そうに、顔を覗きこむ。
「大丈夫……大丈夫だよ」
 かぶりを振って立ち上がった。ミクはあの少女のことを知らない。カイトも言うつもりはなかった。メイコが自分の後悔を一人で抱えて持っていくというなら、自分もこの痛みはずっと一人で抱えていく。そう思ったのだ。
 彼女から教えられたあの歌を、今、歌いたかった。悲しみを表現することを歌うことでもできるなら、今こそあの歌を歌える気がした。
 だけど、声は出ない。メロディーをしっかりと思い出せるのに、声帯器官が震えて唸り声になっただけだった。それどころか、今までに覚えたどんな歌も、喉から先へ送りだすことができない。本能が歌を拒否しているみたいだ。
 ――ああ、僕はきっと……。
 あの少女を殺してしまった時に、ボーカロイドとしての自分も、殺してしまったんだろう。人間のために歌う機械ではなくなってしまったのだと、理解した。
 息が止まりそうだった。人間と違って、息ができなくなっても死にはしない。所詮は、人間を模しただけのただの機械だから。呼吸が止まっても、この手が汚れても、動いている。止まりたくても、必要とされる限り自分では止まれない。
 ミクが、不意にぎゅっと抱きついてきた。
 彼女に抱きしめられて、カイトは自分がかたかたと震えていたことに気がついた。何度か深く息をして、カイトはミクの身体を抱きしめ返す。小さな女の子の身体だ。誰がこの子の声が人を殺したなんて信じるだろう。
「ミク、ごめん、もう本当に大丈夫」
 身体の震えは止まっていたけれど、顔を上げたミクはまだ不安そうだった。少し考え込んで、やがて自分のヘッドセットを外す。それの内側に内蔵されたチップを指さしてから、それをカイトの手に握らせた。
「これ……」
『お兄ちゃんにあげる。私はもう覚えたから。マスターが私にくれた最後の曲』
 それは、自分の命がそう長くないことを悟ったマスターが、心血を注いで作り上げたものだ。音響兵器になったミクの声を再生の原動力に変えるために。
 草木の生命力を高める音を研究して作られた、この世界に楽園を取り戻すための歌。
『お兄ちゃんが泣けるようになるまで、私がお兄ちゃんの分も歌ってあげる。泣いてあげるよ』
 そして、ミクは歌いだす。言葉を音にすることを恐れるようになった彼女が、恐れることなく歌える唯一の歌を。
 彼女にできる、唯一の泣きかた。
 カイトはその歌声を聞きながら、ただ、目を閉じて願った。
 ミクの歌声がいつか、この世界を――マスターの悲しみも、あの少女と両親の墓も全て埋め尽くして癒すような、楽園をもたらすように、と。
 全く違うメロディーのあの歌にあった詞を、カイトは呟いた。

「……君に会いたい」

 とても会いたい。そして言ってあげたい。
 いつか“君と同じ名前をした僕の妹”が、君と君の両親の墓を緑に染めにあげにいくから。
 だから、その時までどうか待っていて。空の彼方で、待っていて。
 ――きっと、僕も、その頃にはまた歌えるようになるから。僕も空の彼方へ行くから。
 その空は、彼女がいる空とは少し違うけれども、きっといつか。

 もう追想の中にしか存在しない君に、この楽園の詩を捧げよう――。

END.
posted by さわのじ。 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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