2010年03月02日

【捏造小説】Waiting in Earth 番外編

半熟P様の「Waiting in Earth(sm4349226)」元ネタ小説、番外編です。
本編の1章と2章プロローグの間に挟まるお話。
当然ながら、微妙に本編1章のネタバレをかましている部分がありますので、本編から先に読むことをおすすめします。(目次の長編カテゴリにリンクがありますよー)

なお、今回も掲載にあたり原曲の製作者の半熟P様には許可をいただいております。
小説の内容自体は、元ネタの曲、動画、P様とは一切関係ない個人が勝手に妄想で書いているものですので、その辺はご理解のほどよろしくお願いいたします。


本編には出せなかったルカさんのお話ですよ。


本文は続きからどうぞ。




Re:Waiting in Earth  ――空葬時代のシャングリ・ラ《The Imitation Paradice》


 世界から人の気配が消えてから、どれくらい経っただろう。
 機械たちが人の姿を探すことを諦めはじめてから、どれくらい経っただろう。
 僕は、ずっと世界をさ迷っている。
 死の星となって久しい地球に、再び花が咲いたことを知ったあの日から。
 戻りつつある世界の息吹を確かめるように。あるいは――人類が消えているという事実を、認めるように。



 地球は、一度滅びている。
 環境汚染と、それに伴う食糧不足。それらが招いた不毛な戦争によって。
 残ったのは機械だけ。汚染では死なず、食料を糧にしない、生きていないものだけだった。
 KAITO、と呼ばれていた僕も、そうやって残った機械の一つだ。
 僕が持ち主であるマスターと別れを告げてから、気の遠くなるような年月。
 それから、マスターのいない日々を過ごす、近くに住む仲間だっためーちゃん――メイコと、別れを告げてから数ヶ月。
 僕は住み慣れた街を出て、延々とあてのない旅を続けていた。
 目的地はない。強いていうならば「世界の果て」を目指している。僕の住んでいるこの国(だった場所)は島だから、果てを目指せばいつか海に行き着くだろう。
 単純に海を目指すならばもっと早いルートがあったのだけど、何せ「果て」を目指しているのだから、と無駄に遠回りをしている。
 そして、厳しい現状を目の当たりにしている。
「バッテリーが……ない」
 僕は、アンドロイドだ。とりわけ、ボーカロイドと呼ばれる、歌うことに特化したボディを持つ。大昔に開発されたバーチャルシンガーソフトをモデルにしているらしいが、今はどうでもいい。
 問題は、僕のボディがそもそも長々と歩きまわるような用途を想定して作られていないことにある。一ヶ月も二ヶ月も稼動をし続けるような根性は、僕のバッテリーには存在しないのだ。
 街を出るとき、僕は持てうる限りのバッテリーをかき集めてきた。途中の街で充電をしつつ使いまわして旅をしてきたが、ここにきて、充電できそうな街が近くに全くないという問題に直面している。
 どうやら僕が今歩いている辺りは田舎らしく、今でも街の機能が残っている場所なんて存在しなかった。それはそうだろう。都市は一定の間隔であるわけじゃないんだから、当然だ。
「ああ……、ある程度大きな街じゃないと、電力が生きているわけないし……」
 人間が姿を消したこの世界でも、機械によって全自動化された発電施設は生きている。ただ、全自動化がなされているのは都市部だけなのだ。こういう田舎は古式ゆかしい、人が動かす発電所しかない。
 手詰まりだ。世界の果てを目指す旅、わずか数ヶ月で幕引きとは。
「まだ、空だって滅多に晴れないし、草花だってたまーにみかけるだけなのにな」
 蘇っていく世界をこの目に焼きつけ、いつか再び出会うかもしれないマスターに伝えたい。僕のささやかな願いは、案外ハードルの高いものだった。
 バッテリーは残り一日分。すでに空は暗く沈んでいる。星も見えない夜がやってくる。
 闇夜は嫌いだ。本当に、何も見えない。世界に自分以外誰も――機械さえも、動いていないんじゃないかと錯覚する。
「とりあえず、休眠する場所は見つけないと」
 きょろきょろと辺りを見まわす。昔は森でも広がっていたのかもしれない。木々の枯れた残骸が立ち枯れ、腐食し、くずおれて。形をなさなくなった残骸が幾重にもつみあがり、奇怪な形の丘を作り上げている。中には風化して自然の丘に変わっているところもある。
 中でも少し高い丘によじ登って、僕は付近の様子をうかがってみることにした。うまいこと廃屋でもあればいいと思ってのことだったんだけど……。
「あれ?」
 明かりがあった。弱々しい光だけど、あれは確かに電気の光だ。
「仲間がいる?」
 僕は丘を下りて、光の在り処まで駆けていく。
 故郷を出て、僕の他に動いている機械に会えたのはほんの二回だけだった。都市部に行っても、見かけるのは仲間の残骸ばかり。もちろん、人間の姿なんてあるはずもない。
 ただ、無性にひと恋しくて、僕は必死に走った。
 その場所は、元々低い崖になっている場所のようなで、光の元はその崖の下に建っている小さな家からだった。崖の影にあるせいで、高いところにいかなければ見えなかったんだろう。
 家というよりは小屋と呼びたくなるような大きさだ。だいぶくたびれているけれど、こまめに修復されている跡がある。脇には金属製の四角い物体があって、駆動音を立てていた。これは自家発電機だろうか? だとしたら、充電だってできるはずだ。
 僕は意を決して、玄関に回る。そして、力いっぱいノックした。
「すみません、その、ちょっと電力を分けてほしいんですけど!」
 ついでに、できれば寝るところもわけてほしいんですけど。
 そんな本音を押さえつつ待っていると、数秒の後、中で誰かが動く気配がした。
 今となっては、機械でも動いて話す者の方が珍しい。となると、突然の来訪者に対する反応は大体二択だろう。すなわち、感激か、警戒か。
 ギィ、と軋んだ音を立てて、細くドアが開かれる。少しハスキーな女の人の声が尋ねる。
「……どちらさまでしょう」
 ……警戒の方だった。
「え、ええと、多分初対面ですが、ボーカロイドのカイトという者です」
 我ながら微妙な自己紹介だ。これじゃ余計に警戒されそうじゃないか。……と思ったものの、案外簡単に扉は開かれた。
 そして、そこにいた人物に僕は驚いた。別に知り合いだったわけじゃないけれど、そこにいた彼女は――正しい意味で僕の『仲間』だったから。
「巡音ルカ?」
「カイト、ですか……。同社の製品ですね」
 淡々と告げるルカ――僕と同じ、ボーカロイドと呼ばれる種のアンドロイドは、ピンク色の長い髪をかき上げながら、あまり気乗りしなさそうな様子で「中へどうぞ」と呟いた。



「どうしてこんな辺境に?」
 空になっていたバッテリーを発電装置に使わせてもらっている間、彼女は義務的な口調でただそう告げた。中にいれてくれたはいいものの、やっぱりとてつもなく警戒されている気がする。テーブル越しに向かい合う彼女との間に深い溝を感じながら、僕は今までのことを順を追って話した。
 マスターの戻らない家で漫然と過ごした日々。もう目を覚まさないマスターに寄り添っていた、僕の親友のめーちゃんのこと。めーちゃんが見つけた、白い花のこと。
「この世界にはまだ……いや、“もう”、かな。花も咲くし、空も青く晴れる。僕は、それを見たい」
 もう死んでいると思っていたこの大地に、命が蘇る。その事実が、今の僕を動かしている。
 ルカの反応はいまいちだった。はぁ、と軽く息をついて、彼女は首をかしげる。
「それに意味はあるのですか?」
「マスターと出会えた時に、めいっぱい自慢できるかな?」
「水を差すようで恐縮ですが、人類はもう一人も生存していないのではないかと」
 硬い表情のまま、ルカは淡々と呟く。彼女のいうことは最もだった。僕も無茶なことを言っている自覚はある。
「僕はまだ、マスターがこの世界のどこかで待っていてくれるんじゃないかって、そう思う時があるんだ」
「幽霊が存在するとでも? 貴方はアンドロイドの割りに空想家なのですね」
「……とりつくしまもないなぁ」
「私のマスターは、空想など役に立たないとおっしゃっておりました」
 彼女は少しだけ考え込んでから、「ずいぶんと前に亡くなりましたが」と付け加えた。
「亡くなった人は帰りません」
「うん」
「貴方が世界の果てとやらを目指すことにも、意味はありません」
「あるよ、意味は」
 どうにも殺伐とした会話にしかならなくて参る。久し振りに会えた仲間なんだから、もうちょっと和やかな会話はできないものだろうか。
 確かに、僕のやっていることは無意味と言われてしまえばそれまでのことだ。はっきりと言えば、単なる自己満足なのだから。それは僕自身が、よくわかっている。
「それじゃあ、何で君はここにいるの?」
 僕だって、何も考えずにこんな不毛な会話を続けているわけじゃない。何となく、彼女がどういう状況にいるのか、察しはついていた。
 恐らく彼女は世界がこうなる前から、ここで自家発電装置を利用しながら住んでいるんだろう。そうじゃなければ、都市部から隔絶され、人の手の入った発電所が停止した時点で電力供給をたたれて止まらざるを得なくなっているはずだ。
 マスターさえいなくなった今、世界がすでに終わっていることもちゃんと把握しているルカが、ずっとここで細々と動いている理由。それは僕やめーちゃんが、あの街で延々とマスターの面影をなぞるように生活していたのと同じじゃないんだろうか?
 彼女は僕の問いには答えなかった。ベッドとは反対方向の壁に備え付けられたソファを指さす。
「休眠にはそこを使ってください」
「……了解」
 僕もそれ以上深くは追求しなかった。そろそろ休眠したかったというのもある。何せ、僕のバッテリーは、今自分の中に入っている分以外は全てすっからかんだ。
「おやすみ。できれば、質問の答えは明日聞かせてくれると嬉しい」
 彼女はもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「それに、意味はあるのですか?」
「意味を求めないことにだって、意味はあるんじゃないかな?」
 ただ電気と時間を食いつぶしていくだけの――人間のいない世界では存在自体が無意味な僕らが、ありえるはずのない意味を求め合うこと、その行為に。
「答えることなんて……ありません」
 ルカはうつむいて、そう呟いた。
 僕には彼女がどんな想いを載せてその言葉を放ったのかも、知ることはできなかった。



 僕の起動する時間は、こんな時でもぴったり午前七時だ。ソファから起き上がり、形ばかりに貸してもらったへたれたブランケットを綺麗にたたみ終える。
 ルカはテーブルに肘を預け、黙々と本を読みふけっていた。ペーパーバックらしく、ボロボロに傷んだ表紙には、英語のタイトルが書かれている。
 そういえば、巡音ルカは外国語ライブラリを持っていることが売りだったな、と僕は同社製品の情報を引っ張り出して確認してみたりもする。
 少しだけ考え込んでから「おはよう」と挨拶をすると、普通に「おはようございます」と返って来た。ひとまず、起きたならさっさと出て行け、ということにはならないらしい。
「何を読んでいるのかな」
「ロストホライズンです。邦題は『失われた地平線』ですね」
 パタン、と本を閉じて、ルカはこちらを振り返った。不思議と、昨晩よりは少し態度が軟化した気がする。単にまだそんなに話していないからかもしれないけど。
「面白いの?」
「……どうでしょう? カイトさんは『シャングリ・ラ』という単語をご存知ですか?」
 話の流れについていけず、僕は一瞬言葉を飲み込む。シャングリ・ラ。聞いたことはある。歌の題材にも時々使われている単語だ。
「たしか、理想郷とか、そんな意味じゃなかったっけ?」
「そうですね、世間一般的にはそういう意味で使われています。元々は何にでてきた理想郷なのかはご存知で?」
「いや……。どこかの国の伝承とか?」
「違います、出典はこの本です。仏教における理想郷――シャンバラをモデルにした、イギリスの作家ヒルトンによる完全なる創作ですよ。意外と原典はあまり知られてませんけどね」
 確かに、何となくどこかの国の神話か、宗教の教典にでも書かれている言葉なんだろうと漠然と思っていた。実際にある理想郷の伝承を元にしたといっても、小説の話とまでは……。
「理想郷というイメージだけが一人歩きしているってことか」
「そうですね。この国では翻訳版もすぐに絶版になっていたようですので、なおさらでしょう」
 なるほど、歌やら映画やらと様々な作品に取り上げられるから名前とイメージだけは広まっても、元の作品が世に浸透していないんじゃ仕方がない。
 だけど、話が見えてこない。ルカがそんな話を僕にする意味が。
 昨晩、僕が彼女に言ったように、真意の見えないこの会話さえも何かに変わるというなら、僕はそれを知らなければいけない。それがきっと、僕がここに来たこと『意味』となる。
「シャングリ・ラは……どんな所?」
 何故、そんなことを尋ねてしまったのかはよくわからない。
 ロストホライズンは、ルカのマスターが好きな本だったんだろうか。彼女は気づいているだろうか。本のことを語るときに、口元に笑みが浮かべられていることに。だからかもしれない。
「その場所では、時間がとても、とてもゆっくり流れるんです。いつまでも若々しくて、争いもなく、みんな穏やかに学問をしたり、音楽を奏でたりしながら過ごすんですよ」
「音楽を奏でたり、か。いいね」
 戦争が起こらず、訪れる死を恐れるかのように生き急ぐこともなく、ただ穏やかに音を愛し、言葉を紡いで生きていられるのなら、僕はまだマスターと一緒にいられただろう。
「そういう世界だったら、よかったのにな」
「そうでしょうか?」
「ずっと、マスターと一緒にいられて、誰もいなくなったりしない。そういう世界じゃないのかな?」
 ルカは口を噤み、しばらくじっと茶色く黄ばんだ本の表紙を見つめていた。
 僕はぼんやりと窓の外――荒れた地面しか見えないけれど――を、眺めて返事をまつ。奇妙に長い沈黙のあと、彼女はぽつりと呟いた。
「戦争が起きなければ、マスターとずっと一緒にいられたと思われますか?」
「少なくとも、もう少し長くいられたとは思ってるよ」
「……私のマスターがおっしゃっていました。人も機械も、どちらも一緒に歩めるような、理想郷は現実に存在しないと」
「人には寿命があるから?」
「それもありますが……。人は未来に走り続ける生き物だから、機械はいつかそれに追いつくことができなくなって置き去りにされるものだ、と。機械はどんどん使い捨てられていくもの。たとえ一握りの人間が古い機械を守ろうとしても、いずれはそれを維持する道具と技術が失われていくから……だから、機械は人間よりもずっと早くに、死ぬのだと」
 僕は、不意に酷く昔の記憶を思い出していた。
 まだ僕とマスターが、のんびりと平和なあの街で暮らしていた頃。マスターが僕のメンテナンス書類を見て怒っていたんだった。僕はボーカロイドシリーズのアンドロイドとしては旧型の方で、数年後にはメンテナンスサービスも終了するという旨が記載されていたらしい。
 マスターは自分でメンテナンスをする方法を覚えると息巻いていたけれど、それが実現できるかどうかわかるよりも先に、世界は終わってしまった。あっけなく、マスターは僕を置いていなくなった。
 僕はまだ動いている。メンテナンス保証期限なんて、とっくの昔に過ぎている今になっても、まだ。
 ――人間が消えたから、僕らはまだ動いている。
 人間社会が崩壊したことで、僕らの時間は止まってしまった。追いかける対象をなくし、新しく生まれることもなく、自分たちの維持をするための電気だけを、延々とただ作り続ける。人間の面影を求めるように、情報をなぞり、言葉を語り、時には歌を口ずさみ――。
 それはまるで、『シャングリ・ラ』のよう。
「ああ……そうか」
 僕らは人間の姿を追い求めていて、だけども、人間がいなくなったからこんなにも永い時を延々と動いている。誰が望むわけでもないのに。自身すら望んではいないのに。記憶情報に沈もうとする主人を、無駄と理解しながら取り戻そうとしている。
「だけどね、ルカ。やっぱりこんなことにも意味はあるんだと思うよ、きっとね」
「それはどういうものでしょうか」
「まだ僕にもはっきりとはわからない。でも、これだけは言えるよ。僕らは人間のために生まれてきたんだから、人間のために止まるべきなんだと思う」
「私が知りたいのは、止まる理由ではなく動き続ける理由です!」
 声を荒げた彼女は、はっと我に返って、うつむいた。
 床が軋んだ音を立てる。僕はテーブルの上に置かれた本をそっと手に取った。
 きちんと保存しているんだろう。さすがに年月が経ちすぎているから、外側の傷みは激しい。中身はまだ充分に読めるレベルだ。僕には英文を解読する機能はないから内容はさっぱりわからないのだけど、これが大事にされてきたことは充分わかった。
「僕は、思うんだ。人間がいなくなったこの世界で、何をしたら人間のためになるのか。それを探すことは動き続ける理由にならないかな?」
 人間がいない。ただそれだけの事実で、僕らは無意味で無価値になる。この体もいずれは朽ちて、消え去っていく遺物なのだ。少なくとも、世界にとってはそれが真実かもしれない。
 でもそれは、僕の真実じゃない。
 多分――彼女の真実でも、ない。
「意味のないことにだって、多分、僕ら次第で意味は生まれるんだ。僕は、そう思うんだ……」
 世界の果てに行っても、マスターには会えないとわかっている。それでも僕が行くのは、マスターのためだ。マスターが愛していた世界の姿を、死んだ世界の姿に上書きするためだ。それはきっと、マスターのためになることだろう。たとえ、二度と届かなくても、他の誰にも価値がない行為だとしてもだ。
「それに僕は、君にはまだ動いていてほしいな」
 マスターを置き去りにして、マスターに置き去りにされてしまった、僕らは仲間だから。
「それに、意味はあるのですか?」
 何度目かのその問いかけに、僕は頷く。
「もちろん、あるよ」



 バッテリーパックを全て充電し終えて、僕はルカの家を後にする。
 あんまり長居をすると、旅に出る気力が萎えてしまいそうだから、出発は急ぎ足だった。
「君も旅をしてみればいいんじゃないかな」
 僕の提案に、彼女はゆっくりとかぶりを振った。
「私は、ここにいます。ここが、いいんです」
「そうか」
 何となく、そう言われる気はしていた。
 どうして、ルカのマスターがこんな辺境で、自家発電装置までわざわざ取り付けて日々を過ごすことを決めたのか。空想など役に立たないと言い切っていた彼が、どんな思いでシャングリ・ラの話を聞かせたのか。
 彼女のマスターは、とても小さな、自分の手が届く範囲のシャングリ・ラを作りたかったのかもしれない。機械でできたルカが、置き去りにならないように。生き急ぐ外界を閉ざして、時代を切り離すことで時間を止めて、空想を小さな現実に変えた。
 ただ、楽園の終わりはマスターの寿命でも機械の限界でもなく、楽園を包み込んでいた世界そのものの終わりだった。
 きっと、そういう物語が彼女にはあったのだろう。
 これは僕の空想で、真実とは限らない。そうであればいいな、と思う。
「ああ、そうだ。行く前に特別に見せてあげよう」
 僕は鞄の中から写真立てを取り出す。これに収められた写真に、写っているのは僕のマスターだ。とはいっても、色あせが激しくて髪が長いことくらいしかわからなくなっているのだけど。
「美人だろう? 自慢のマスターなんだ」
 写真を覗き込んだルカが微笑む。
「ええ、とっても素敵」
 僕はその答えに満足して、写真をしまいなおした。
 これでいい。少なくとも、ルカの中では僕のマスターは素敵で綺麗な女性なのだと記憶されただろう。実際の顔はわからなくとも。
 空想の中に、葬り去られた誰かの面影は真実として刻まれる。
 それだけで、僕がここにたどり着いた意味はある。
「さよなら」
「ええ、さよなら。気をつけて」
 また会おう、とは言わなかった。彼女はここに留まって、僕は世界の果てを目指す。だから二度と会うことはないだろう。
 だから振り返らなかった。ひたすらに歩いた。
 歩いて、歩いて、空を見上げる。
 久し振りに晴れた。青く澄んだ空と白い雲。あの空に、いつかは鳥の姿も戻るだろうか。
 その時までは、動かなければならない。世界が生命に溢れていることを証明することが、今の僕が動き続ける意味と価値なんだから。
「ねぇ、聞いてください、マスター」
 届かない青に、僕は手を伸ばす。天国へと、手を振るように。再会を、願うように。

 僕がマスターと“再会”するのは、それからまた、気が遠くなるほどの時を越えた後、世界が輝きを取り戻した後の話になる。


END.
posted by さわのじ。 at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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