2009年11月10日

【捏造小説】Waiting in Earth(1)

半熟P様の「Waiting in Earth(sm4349226)」元ネタ小説です。
大変暗い話な上にいわゆる死にネタを多分に含みますので、苦手な方は回避推奨です。


なお、掲載にあたり原曲の製作者の半熟P様には許可をいただいております。
小説の内容自体は、元ネタの曲、動画、P様とは一切関係ない個人が勝手に妄想で書いているものですので、その辺はご理解のほどよろしくお願いいたします。

作成にあたって、原曲動画及び手描きPV(sm6263478)を参考にさせていただきました。


曲イメージ二次創作とか、手を出すつもりがなかったのにあまりにもこの曲が好きすぎてやらかしてしまいました。
カラオケ配信決定楽しみです。原曲PVも手描きPVももっと伸びればいいんだ! みんな歌えばいいんだっ!


本文は続きからどうぞ。



Prologue;終焉のメリーゴーランド【A Revolving Lantern】

 白黒のノイズにまみれて、闇に沈んだ視界。
 小鳥の鳴き声らしき音をかろうじて拾ったのを最後に、ぶつりと途切れる音声信号。
 わずかに残った電気が最後に身体を駆け抜けていくその瞬間、僕は長い夢を見た。
 初めてマスターと出会った日。一緒に見たテレビ。与えられたメロディー。二人で声を重ねたハーモーニー。ベランダから眺めた夕日の赤。
 ぶつ切りの記憶が意味もなくフラッシュバックして、僕は最後に残ったマスターの、消えかけた残像にすがろうとする。

 ――聞いて、ください。

 何を? 誰に? どこで?
 マスター。マスターは、誰だっただろう。思い出せない。綺麗な人だった。それは覚えている。優しい声だった。それも覚えている。
 だけど、闇は容赦なく、マスターの姿を奪い去っていく。

 記憶情報ばかりが、くるくると回って、闇に沈んで消えていく。
 いつしか僕の中には何も残っていないことに気がつく。
 誰もいない光が届かない場所で、身体も、心もなくして空っぽになった僕が、虚ろに漂う。
 僕は、電子の海に漂うプログラムの残りかすでしかなくなったんだろう。

「本当に?」

 誰かの声が聞こえた気がした。
 僕はその声を知っている気がした。

「待っていてくれたの? 私もだいぶ待ったのよ?」

 優しい声を、綺麗な姿を、僕の手を引いてくれた柔らかくて暖かい手を。
 ああ、そうだ。これはマスターだ。きっと、マスターの記録が断片でも残っていてくれたんだ。

「……ねぇ、聞いてください」

 僕は思いだす。消えたはずの記憶を拾い集めて。マスターと僕の永い別れから再会に至る旅路が、情報の海でくるくると回る。
 愚かで、そして優しい人間の、ただ一人を待ち続けたある機械が止まるまでの物語が。
 くるくると、くるくると、輝きと共に巡る。


Scene.1;終わりから始まる旅【No Man's Land】

 何が起こっても、僕が起動する時間はぴったり午前七時で、一度も狂ったことがない。アンドロイドである僕を購入した時マスターが行った初期設定は、ずっと変えられていなかった。これからも変わることはないだろう。
 薄ぼんやりとした光が世界を包む頃に起きだして、カーテン――はもうないので、そのまま窓から外の様子を確認する。今日もいつもと同じで、とても静かだ。景色のどこを見ても、人どころか動物の影すら見えない。
「マスター、おはようございます」
 僕は振り返って、挨拶をする。
 そこに僕の望んだ姿はない。厚く埃を被った机の上に、写真立てが置かれている。中の写真はすっかり色あせて、薄いセピア色で辛うじて輪郭が残っているだけだ。もはや顔立ちもわからないけれど、髪の長さやワンピースらしき服の線で、女性を写したものだとわかる。
 僕のマスター。ずっと、会っていない。ここにはもういないから。
 そうわかっているはずなのに、僕は未だにこの部屋にマスターが帰ってくるような気がしている。
 だから朝になると今でも部屋をぐるりと見回して「おはよう、カイト」という声が返ってくるのを待ったり、寝過ごしたマスターがベッドの上で寝返りを打っているんじゃないかと確かめたりしてしまうのだ。
 マスターの長い後ろ髪についた寝癖を、ブラシで梳かして直してあげるのが僕の役目。テレビの電源を入れて天気予報を確認するのが僕の役目。マスターが朝食をとった後、歌いながら洗い物を片付けるのが僕の役目……。
 ブラシはいつのまにかどこかにいってしまった。テレビの電源をつけてみても、砂嵐すら映ることはなく無言のまま動かない。朝食を用意するための食材はないし、ガスも水道もとっくの前に止まっていた。……もちろん、全てこなしたところで、それを受け入れてくれる人はいないんだから、何の意味もないのだけれど。
 ここではないどこかに行ったとしても、僕が誰かの髪を梳かしたり、天気予報を聞いたり、家事を手伝ったりすることはないだろう。
 もう二度と、僕にマスターができることはない。人間のそばに寄り添って、アンドロイドの本懐を果たすことは叶わない。
「……めーちゃんのとこ、行ってこよう」
 誰にともなく呟いて、僕は家を出た。律儀に「いってきます」とリビングに向かって叫んで、鍵もきちんとかけ――ようとしたら、鍵が折れた。ついでにドアノブが取れて扉が開きっぱなしになった。まぁ、いいか。僕は鍵を閉めようとする努力はしたんだ。扉の故障は僕の想定外だ。気にしないことにする。泥棒なんてとうの昔に絶滅しているんだから、何も気にすることはない。
 僕が『めーちゃん』と親しげに呼ぶ彼女は、家から徒歩十五分ほど歩いたところにある一軒家に住んでいる。僕と同じアンドロイドだ。めーちゃんのマスターは、僕のマスターの従兄らしい。マスターが僕を購入したのは、彼の影響だとか言っていた。めーちゃん――ボーカル特化型アンドロイドであるボーカロイドのMEIKO。彼女の歌声を聞いて自分も欲しくなったマスターは、僕を――ボーカロイドKAITOを買った。ローンは大変だけど買ってよかったと幸せそうに笑うマスターを見ていると、僕もすごく幸せな気分になった。よく二人でめーちゃんの家に遊びにいった。せっかく男女揃っているんだからと、セッションをしたことも一度や二度じゃない。
 だからめーちゃんの家に遊びにいくのは、そう珍しいことじゃなかった。むしろ、日常の一部として当たり前に組み込まれている。
「めーちゃん、僕だよ」
 どうやら早朝に一雨あったらしい。崩れた塀の残骸や、朽ちた鉄柱からしたたる赤黒いサビ混じりの水滴をよけながら、僕は彼女の家の扉をノックする。インターホンはかなり前に壊れて、それっきりだ。ここにたずねてくるのは僕くらいだし、これでかまわないだろう。
「入ってきていいわよ」
 扉の向こう側で、小さく声が聞こえた。いつもは出迎えてくれるのに。僕はかすかな違和感を覚えながら、勝手に扉を開ける。この家も、結構前に鍵が無用の長物になっていた。
 家に入ると、僕は靴を脱がずに上がりこむ。床板がところどころ抜けているから、素足だと危険なのだ。僕はアンドロイドだから、多少足の裏に何かが刺さってもせいぜい人工皮膚が破れるくらいだけど、不快なことにはかわりない。そういうわけでめーちゃんと僕の間ではこの件は無礼講ということになっている。
「めーちゃん、おはよう」
 リビングを抜けて寝室に向かうと、めーちゃんが椅子に座って僕を出迎えてくれた。そして僕は、めーちゃんが玄関まで迎えに来られなかった理由を知る。
「おはよう。ちょっとしくっちゃってさぁ。右足、動かなくなっちゃった」
 妙に明るい調子で笑う彼女は、右足の膝から下が失われていた。
「何かあったの?」
「うん? ああ、ちょっと散歩していたら足踏み外しちゃったの。何とか戻ってはきたんだけど、膝の関節がどうにもならなくって。仕方ないからはずしちゃったわ。直しようもないし、壊れたままの部分をさらすよりはいいかと思って」
 膝から下の部分は、壊れた間接のジョイントごと完全に切り離してしまったらしい。断面は申し訳程度に布で隠してあるけれど、なんとも痛々しい姿だった。
「そんな顔しないの。それよりも聞いてよ、あたし、いいもの見つけたのよ。あんたも後で見てくるといいわ。ただし、足元には気をつけてね!」
 沈んだ僕を元気付けるように、めーちゃんはひたすら明るく笑い飛ばす。僕も少しだけ笑う。そうだ、悲しんだって仕方がない。まだめーちゃんは動いているんだから……終わっては、いないんだから。
「マスターはどう?」
「相変わらずよ。もう面影もないわねぇ」
 話題を変えた僕に、めーちゃんは指でベッド(だったもの)のほうを指してみせる。
 足が折れて床に寝台の部分だけが残されているそれには、風化した布団の残骸が雨漏りに薄汚れべったりとはりついている。その下にうずもれている、もろく崩れ落ちた残骸もまた、風化しつつある。
 何もかも形も残らずに、消えていくばかりだ。それでもめーちゃんは、ずっとここでマスターに――マスターだったものに、寄り添っている。それはきっと、僕がマスターのいない部屋でいつもどおりの生活を続けているのと同じ理由だろう。
 僕らアンドロイドは、必要とされて初めて存在意義がある。必要としてくれる存在が消えた今は、必要とされていた頃の幻にすがって動いている。
「この街の電力はいつまで持つかな」
「さぁ、発電施設のアンドロイドが、全て止まったら尽きるんだろうけど……」
 発電所は、アンドロイドが操作している。操作するアンドロイドをメンテナンスするのもアンドロイドで、メンテナンス用のアンドロイドは自分で自分をメンテナンスする。完全自動化が図られた発電システムは、人間が街から姿を消した後も、細々と稼動を続けていた。だから僕らもまだ動くことができる。
「あと数年が関の山だとは思うわ。街を見ればわかるもの。動いている仲間もずいぶん減ったわね」
 少し前までは、僕らのように町をうろついているアンドロイドはそう珍しくもなかった。
 人間がこの街から完全に姿を消したのはいつだっだろう。記憶情報を深く潜っていけば答えにたどり着けるだろうけど、そんなことをしても何も意味はないだろう。環境汚染による農業の衰退、人類居住可能領域の減少、食料枯渇問題。僕が起動したばかりのころ、新聞の紙面を賑わせていた単語は、数年も経たない内に深刻化した。領土や食料を奪い合うのに戦争が勃発した頃、少子化による労働人員の減少にともない、様々な機関に作業用アンドロイドが大量に投入されることになった。発電設備もそのひとつだ。
 ただ、アンドロイドの大量投入は結果的にいうとあまり役に立たなかった。戦争はあっという間に全世界に飛び火して、ほとんどの国が自滅に近い形で倒れていったからだ。
 閃光が何もかも焼き尽くし、かろうじて生き延びた生物も、放射能を含む黒い雨に葬り去られた。
 戦争に勝った国にも、負けた国にも、何も残らなかった。残ったのは、かろうじて黒い雨の日々をくぐりぬけた、命なきヒトガタ。自動化された発電施設から送られてくる電気を食いつぶしながら、人間を失った世界で人間の面影追って動くアンドロイドだけだった。
 そのアンドロイドも、日を追うごとに数が減っている。毒性の強い雨を浴びて劣化し、壊れてしまったものもあれば、もう戻らない人間の姿を求めることに疲れて、自分から止まってしまったものもある。
 僕らはそのどちらにもなれずに、ずっと動き続けている。目的もなく、人間が呼吸をするように、本能的にただただ日々の習慣を繰り返す。
「そういえば、いいものって何?」
 事実から目をそらそうと、僕はできるだけ彼女の足元を見ないようにして尋ねる。めーちゃんはしんみりした表情を喜色で塗りつぶして、上機嫌にけらけらと笑う。
「ここから二十分くらい歩いたところに、小学校があるでしょ? あそこ、昔は裏手に池があったじゃない。大きな鯉とか泳いでいて、子供が餌とかよくあげていたの」
「あったけど、そこ、ずいぶん前に涸れてたよね?」
 酸性雨が酷くなった時点で、鯉は全て死んでしまった。雨の毒性が強くなるにつれ、あの池は貯水槽ならぬ貯毒槽になってしまったから、水を抜いてコンクリートで蓋をされてしまったのだ。確かまだ、マスターがいた頃の話だ。マスターはたまにボランティアで僕をつれて小学校まで行っていたから、その話を聞いて残念そうな顔をしていたっけ。
「コンクリの蓋、もう崩れていたわ。だから私の足がこんなになったんだけど。まぁ、いいから、早く見てきなさいよ。何も聞かないで行った方が感動するわ」
 ほら、とせっつくように促されたので、僕は釈然としない思いを抱えながらめーちゃんの家を出た。彼女があそこまで言うくらいだから、きっと本当にすごいものなんだろう。
 少し楽しみになってきて、僕は声ひとつ聞こえない街中を足早に歩いていく。
 崩れた建物の間を乾いた風が、土埃を巻き上げながら駆け抜ける。瓦礫を撫ぜるたびひゅうひゅうと、嘆きにも似た悲しげな音を立てる。見上げた空は、灰色。濁った雲に覆われている。
 いつもどおりの、全てが終わりにたどりついたような世界。
 その中に、どんな喜びがあるっていうんだろう。僕には、さっぱり想像がつかなかった。
 やがて、半ば倒壊しかけた小学校の建物が見えてくる。僕は裏手に回りこんで、サビて曲がった柵を乗り越えて裏庭に出た。駐輪場の跡を抜け、潰れた倉庫を横切り、小さな池があった場所にたどりついた。
 コンクリートでふさがれていたはずの場所が、確かに一部崩れていた。前から崩れていたらしい場所のほかに、割と断面が新しい感じのところがある。ここがめーちゃんの事故現場ということだ。
「水……溜まってる」
 崩れたところから雨水が入り込んだんだろう。覗き込むと、思いのほか水が澄んでいた。石と泥が沈む池のそこにうっすらと緑色に見えるのは……。
「藻? 水草が生えている……? いや、まさか……」
 草一本生えない死んだ大地。人類がまだ生き残っていた頃、彼らが計算してはじきだした、大地に豊かな自然が戻るまでの時間は約一千年。あれからずいぶん経ったけれど、一千年にはまだ遠く及ばないのに。
 僕はあわてて、あたりを見回した。そして黒ずんだ土の上に、もう忘れかけていた色彩があるのを見る。
 白と、緑。
 風が吹けば倒れてしまいそうな、小さな小さな――それは、花だった。
「――っっ!」
 思わず身を乗り出した僕は、コンクリートの足場を崩して危うく転びそうになる。かろうじてバランスをとって、めーちゃんの二の舞になることは回避した。池から離れて、外側を回りこんで花のたもとにたどりつく。
 恐る恐る、指でその葉にふれてみた。作り物ではない、水の通った湿って滑らかな手触りがする。間違いなく、本物の手触りだった。
 花が、咲いた。全てが終わっていくこの世界に、花が――。
 僕は走り出した。めーちゃんにはお礼を言わなくちゃいけない。それから、部品がどこかに残っていないか探しに行こう。彼女の足が直せたら、今度は二人で見に行こう。花が増えたら、株を持ち帰るのもいい。そしたら、家の庭に植えるのもいいな。僕のマスターは花が好きな人だった。きっと喜ぶだろう。めーちゃんにも、勧めてみようか。
 胸が躍った。片足を失っても、めーちゃんが明るくにこにこしていた理由がわかった。
 小さな瓦礫を蹴り飛ばしながら、僕はめーちゃんの家に戻って、今度はノックもせずに駆け込んで、寝室に向かう。
「めーちゃん! 見てきたよ!! 花が――」
 咲いていたよ。そう続けるはずの言葉が、音をつむぎだす前に消えた。
 めーちゃんは、ベッド脇の椅子に座って、いつものように彼女のマスターに寄り添っていた。
 たまに散歩をする時以外、彼女はいつもそこにいた。もう目覚めないマスターに、再び「おはよう」といえる日を待ち続けているかのように。
 あるいは――マスターが自分を連れて行ってくれる日を、待ち続けているかのように。
「めー……ちゃん?」
 彼女は、くずおれたベッドにうずくまるように伏せて、静かに眠っていた。
 近づいて、肩をゆすってみても動かない。背中に耳をあててみても、スプリングや歯車のきしみどころか、かすかな駆動音すら拾えない。
 生物が細胞分裂の限界を迎えた時、死にゆくように、機械にもまた寿命がある。黒い雨に溶かされ、汚れた風に撫ぜられて、磨り減っていく、僕らの終わり。
 めーちゃんは、止まるところを僕に見せたくなかったんだろうか。多分、それもあるだろう。この街でまともに話すことができるアンドロイドは僕らだけだったから。
 だけど――一番大事なところはきっと別にある。めーちゃんは、悲しい気持ちで旅立ちたくなかったんだ。白い花に見た希望を、誰かに託して止まりたかったんだと思う。
「……おやすみ」
 それしか、言えることはなかった。
 機械の彼女に魂と呼べるものはあるんだろうか? あったらいいな。心からそう思う。それならきっと、彼女は天国で愛するマスターと再会できるだろう。
 ――僕も……マスターに会いたい。
 止まってしまえばいいんだろうか。二度と目覚めないように、初期設定を書き換えて、朝七時に目覚めないようにして、電源を切ったまま朽ち果てていくのを待とうか。
 もうここには、僕の存在意義を思い出させるものは何もなくなってしまった。マスターはいない。マスターを知る誰かもいない。僕をこの世界に繋ぎとめるものは何も――。
 ――白い花が、あった。
 眠るめーちゃんに背を向けて、僕は彼女の家を出る。
 空を見上げる。濁った雲が広がるばかりだと思っていた空に、割れ目ができている。眩しい太陽の光がこぼれて、その先にはもうずっと見られなかった青があるのを知る。
 僕は信じられない気持ちで、ずっと空を見上げていた。毒性が強い風雨を避けるように、部屋やめーちゃんの家に閉じこもっていることが多かった僕は、世界が少しずつ元に戻ろうとしていることなんてまるで気がついていなかった。めーちゃんは、近場をよく散歩していたみたいだから、僕よりも早く変化に気づくことができたんだろう。
 もしかすると、自分に限界が近いことに気がついていて、それで多少無茶してでも、自然が返ってきている証拠を見つけようとしていたのかもしれない。
「めーちゃん……、僕のマスターに会ったら、伝えて……」
 後ろは振り返らず、僕は囁く。誰に聞かせるわけではなく、自分の中に刻みつけるために。
「貴方に見せたいものを、聞かせたいことを、たくさん知るまで、僕はこの世界で待っていますって……」
 もう会えないとわかっているマスターを、僕はこの先もずっと待ち続けるだろう。
 だけど、それはあの残骸だけが残った家で、過去の思い出をなぞりながら動いていくということじゃない。
 僕は家に戻るなり、自分の予備バッテリーを可能なかぎり鞄に詰め込んだ。僕が自分で交換できる最低限の予備パーツと、とりあえず周辺の大体の地理がわかる地図。それと、色あせたあの写真たても放り込む。
 そのほかは何も持たなかった。壊れた扉も、そのまま開けっ放しにしていった。
 僕は、これから旅に出る。
 マスターが空の上から戻ってくるまで――、あるいは、僕を迎えにきてくれるその日まで。
「ねぇ……聞いてください」
 僕は、空に語りかける。いつか、僕とマスターを隔てる鈍色の雲が全て去ることを願いながら。
「今日、花が咲いているのを見たんです。あんなに乾いていた土の上に、花が咲いていたんですよ。きっと、世界のどこかには、もっとたくさん花が咲いている場所があるはずなんです。だから、マスター……」
 本当に世界が光を、空を、花を、緑を取り戻そうとしているのなら――僕は僕に残された時間の全てを、この世界に帰ってきた美しいものを、回路に刻み付けるために費やそう。
 ――世界の果てを、見に行こう。

 一人のボーカロイドが、永い旅路を歩み始めた。
 誰もその姿を見送る者はいなかった。人も、アンドロイドも、全て倒れて朽ちて、何も残っていなかった。
 ただ、瓦礫の隙間に咲いた一輪の花だけが、彼の後姿を見送るように風に揺れていた。
 まるで手を振るかのように、葉を揺らしていた。
posted by さわのじ。 at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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