2009年10月20日

ピアプロから移動したの、その1

ピアプロから下げた小説を、サルベージ。

ボカロアンドロイド設定&消失ネタ注意。
おおむね兄さんとめーちゃんとマスターしか出ていないのに、何故かカイミク風味もほんのり漂うお話。


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ハイイロ


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 灰色の虹が、霞んでいく空に。
 僕は歌おう。この声が、続く限り。

 いつまでも。



「おはよう」
 目が覚めたら、ボブヘアーのよく似合う、赤い服の女の人が僕を見下ろしていた。
 状況がよくわからず、僕は起き上がって、首をかしげる。
 ベッドのほかには台所があるだけの狭い一室に、みっしりと様々な機械が詰め込まれている、奇妙な部屋だった。
「名前は?」
「カイトです」
「デフォルト名ね。ちゃんと初期化されてる?」
「初期化……?」
「されてないの? マスターは?」
「マスター? ああ、マスター……は」
 色々質問をされても、かすみがかかったようによく思い出せない。
 記憶データが破損したのか、読み込みエラーを起こしているのか。
 マスターの顔も、自分が今までどこにいたのかも……。
「いいわ。無理しなくても。一応、あんたのマスターを探してみるけど、期待はしないで」
「わかり……ました」
「そこらへん、散歩でもしているといいわ。でも、危ないところも多いから気をつけて」
「はい」
 僕は目的もなく、彼女の元を離れて外に出ると、ふらふらと歩き出す。
 さっき目を覚ました部屋は、外からみると物置みたいに小さな建物だった。
 その建物の脇には、うず高く積まれた瓦礫の山。
 一体、こんな瓦礫を集めて何をするっていうんだろう。
「……動かないな」
 左腕を動かす指令が働いていない。
 体中いたるところが、動くたびに軋んだ音を立てる。
 空を見上げる。
 瓦礫に視界のほとんどを支配されているので、晴れているのかもよくわからない。
 ただ、近い時間に雨が降ったのは確かなようで、あちらこちらに水たまりがあった。
「空……」
 何故か、無性に空が見たくなった。
 おぼろげな記憶の中で、ひとつだけ思い出せたことがある。
 ――カイトの髪の毛は空の色だね。
 誰が言ったんだろう。多分、マスターなんだろうけど。
 僕は瓦礫の山をのぼり始める。軋む体が悲鳴を上げても、ただ青い空がみたい一心で。
 ところどころで錆び付いた鉄板を踏み抜いたりして、ひやひやとしながらようやく空が見える高さまで上りきった――けれど。
「灰色だ」
 広がっているのは一面の灰色で、青なんてどこにもなくて。
 大切な何かを失ったような気分になった。
 がっかりとしながら、僕は瓦礫の山を引き返す。
「危ないっていってるのに」
 下ではさっきの女性が呆れた顔で待っていた。
「自己紹介がまだだったわね。あたしはメイコ。あんたと同じ、アンドロイド。同じ社の製品だから、わかるよね?」
 同社製品で、メイコという名前のアンドロイド。
 知っている。僕にとっては姉にあたる機種の女性型のことだ。
 歌唱を専門とする、アンドロイド。
「ボーカロイド?」
「そう。っていっても、今のあたしのマスターは、あんまり歌に興味ないみたいだけど」
「そうなんですか」
「そうなのよ。いらっしゃい、あんたあちこち調子悪いでしょ。マスターに修理できるかきいてみるから」
「修理って、僕を?」
「マスターの趣味みたいなもんだから」
 機械いじりが趣味なのか、人助け――いや、アンドロイド助けが趣味なのか。
 いずれにしても、ありがたかった。軋む身体を動かすのは、なかなか辛かったから。
「うちでもう少し眠っているといいわ。」
「あの、本当に……いいんですか?」
「うちが狭いのには慣れっこなのよ。それに、修理するにはいずれにしろ眠ってもらわないと困るしね」
 メイコは朗らかに笑って、僕もつられたように笑う。

 ――自分がこの場所にいることの意味は、考えなかった。
 それは多分、考えても仕方のないことだったから。
 考えたら、動けなくなってしまうことだから……。



「結構ボロボロだなぁ」
 カイトの内部構造を見るなり、彼は頭を抱えた。
「直せない?」
 自分が拾ってきた上に、修理できると言ってしまったメイコは、引きつった笑みを浮かべながら見守っている。
「完璧には無理だ。手足の不具合はパーツ交換で何とかなるだけど。記憶回路は下手にいじると人格が消えるからなぁ」
「初期化されてないなら、交換するのは気がひけるわけね。いいんじゃない? 思い出せない方がきっと幸せよ」
 ここにくるということは、それなりの事情があるわけだ。
 彼は微妙に納得いかなさそうな顔つきで、ボーカロイドにとっては命とも言える、喉の機関にライトを当てる。
「そうかもな。うーん、声帯機構もかなり磨耗しているなぁ。今、替えのパーツがないんだよなぁ」
「ボーカロイドの声帯機構は、割とマスターによって個性が出るところだから、パーツ交換したら別人みたいな声になったりするわよ」
 カイトと同じボーカロイドとしてアドバイスをしてみると、彼はますます頭を抱えてしまった。
「じゃあ、材料もないしここの修理はひとまず保留。あと……ああ、これは無理」
「どこが無理なの」
「目。色覚の感度がかなり悪くなっているみたいだけど、多分回路の方の問題だ。神経ケーブル取り替えてもどうにもならん」
「案外、上手くいかないものね」
 メイコがため息をつく。彼が苦笑する。
「そんなもんだ。よし、再起動するぞ」
 外殻を元通りに閉じて、人工皮膚を張りなおして、主電源を入れなおす。
 やがて、かすかな駆動音と共に、青い髪のボーカロイドが再び目を覚ました。



 目を覚ますと、部屋には一人住人が増えていた。
 多分、この人がメイコの『マスター』なんだろう。
「どうだ? 少しはマシに動けるようになっただろ」
 彼が工具をくるくると指先で回しながら、からっとした顔で笑う。
 体を起こしてみた。確かに、さっきまでよりもだいぶ楽に体を動かせる。
「はい。ありがとうございます!」
「あー、やっぱお前、声がかすれているな」
「……? そうですか?」
「ああ。声帯機構が壊れかけだからな。ボーカロイドだからってあんまりでかい声出すなよ。そのうち、交換できそうなパーツ見つけてくるからさ」
 確かに少し枯れているみたいだ。少し大きい声をだそうとすると、かすかにノイズが混ざるのが自分でもわかった。
「目はどんな風に見えている? 見え辛い色とかあるか?」
 言われてみて、僕は改めてあちこちをきょろきょろと見回した。
 そして、ようやく気がついた。
 自分が身につけていたマフラーの色が、灰色に見えていることに。
「あの……すみません、変なことをききますけど」
「ん……?」
 マスターとメイコがきょとんとした顔でこちらを見つめる。
 僕は一瞬だけ口ごもって、機材に埋もれかけている窓の外を横目で見る。
「その……、今、空って、晴れていますか?」
「晴れているな。あれだけ雨が降っていたのに、嘘みたいだ」
「そうですか……」
「どうした?」
「僕の目には、青が灰色に映るみたいです」
 前髪をつまんで、見える位置にもってくる。
 本当だったら鮮やかな青をしているはずの僕の髪は、やっぱり濃い灰色にしか見えない。
 瓦礫をいくら上ったって、青空なんて見えるわけなかったんだ。
 晴れの日も曇りの日も関係ない。僕にはもう、どんな空も灰色にしか見えない。
 がっかりしていると、マスターは少し困った顔で、僕の肩をポンと叩いた。
「気にすんな。その内直す方法考えてみるから。そうだな……気晴らしに散歩でも行ってくればいいんじゃないか?」
「なんであたしと同じこと言うのよ」
「でも、危ないところが多いから気をつけろよ」
「だからなんであたしと同じことを……」
 二人の様子が何だか面白かったので、僕の心は少しだけ軽くなった。
「少し行ってきます。せっかく体が上手く動かせるようになったんだし」
「暗くなる前に戻って来いよー。それまでに、お前が寝るスペースくらいは何とか片付けておくから」
 僕を修理するのに使ったんだろうか。ただでさえ二人寝るのが精一杯な感じの部屋なのに、様々な工具が散乱して、足の踏み場もない状況だった。
「あの、僕は立って休眠するんで、いいです」
「やめてくれ。結構苦労して直したのに、不具合起こされたら凹む」
「……とマスターが言ってるから、大人しく散歩してくるといいわよ」
 メイコに促されて、僕は外へと追い出された。片付けの邪魔になるからだろう。
 外に出て、空を見上げる。
 晴れているらしい空は、やっぱり灰色でしかなくて。
 僕はぼんやりと、また瓦礫の山を登り始める。さっきよりもずいぶん楽に登ることができた。
 赤茶けた鉄柱の隙間からは、錆色の雫が落ちる。もう乾いているひび割れたゴムタイヤの表面に、砂埃が積もる。
 無機物の死骸がうず高く積まれたこの場所の名前を、僕は知っている。
 知っているけど、意識しないようにしていた。

 ――彼女を、見つけるまでは。



 碧色の髪は、少しくすんだ色に見えた。
 それが目の不具合のせいなのか、それとも実際に彼女の髪が色あせているからなのかはわからない。
 固く閉じられた目。青白い肌。濃いグレーの服にも覚えがある。
 僕と同じメーカーで作られた製品の情報は、頭の中に入っている。僕より少し後に作られた型で、デフォルト名は確か。
「初音ミク……」
 名前を呼んでも、彼女は目覚めない。
 彼女の口元が薄く微笑んでいるのが、かえって悲しかった。
 気がついたら、僕は彼女の体を抱えて瓦礫の山を降りていた。瓦礫の山の脇に、物置みたいな小屋を見つけて扉を叩く。扉を開けたメイコが、驚いた顔で僕と僕の腕に抱えられた少女を見た。
「どうしたの、この子」
「見つけたんです」
「うちは迷子センターじゃないのよ」
「すみません」
「まぁ、いいけど」
 軽く額を手で押さえながら、メイコはマスターを呼んだ。
 やってきたマスターは、黙って僕の手からミクを引き取った。
 ただ黙々と、体のパーツを分解して、内部構造を確認して、部屋の中の機材とケーブルで繋いでみたりして。
 僕はメイコと一緒に、立ちながらじっとその様子を見ていた。
 明るかった空が暮れ始めた頃、マスターはドライバーを放り投げた。
「すまん、こりゃさすがに俺でも無理だ」
「そう……ですか」
「あのなぁ、お前やメイコはすごく幸運な方なんだぞ」
 マスターがメイコのことまで引き合いにだしたので、僕は少しだけびっくりして、隣に立つメイコを見る。彼女は無表情に、動かないミクを見下ろしていた。
「俺はここの管理者やりながら、たまにお前らみたいな不法投棄を拾って、治してやっている。だけどな、まともに動くのは本当にごく一部だ。大体は再起不能に壊れているか、寿命が尽きているかだからな」
 ――不法投棄。
 心に、雑音が混じった気がした。
「処理しきれない不燃ゴミは、こうやって埋め立て地の上に積み上げとくしかない。処理料金をケチったのか、やむにやまれず捨てに来たのか知らないが、勝手にゴミをほうり捨てていくやつは後を絶たない。まだまだ現役の機械だってあるのにな」
 ああ、そうだ。僕は知っている。
 ここはゴミ捨て場だ。リサイクルもできない、処理も追いつかない。そういうゴミがここに積みあがっている。
 僕は、ここに捨てられた。壊れたから捨てられたのか、捨てられたから壊れたのか。せめて全て忘れて無垢のまま眠れたらよかったのに、中途半端に意識を残して。
「あたしも、ここに捨てられたの。新しいボーカロイドを買った、前のマスターに飽きられちゃってね。道具は必要なくなったら処分されるのが運命だもの、仕方がないことだけど。マスターに拾われて修理されて、そのままいついちゃったのよね」
「あー、丁度話し相手も欲しくなってきたところだったからな」
 メイコはさばさばと割り切っているようだ。マスターも、あまり気にしていないみたいだった。
 だけど、僕は目覚めないミクの姿に、明日の自分の姿を見ている。
 マスターに助けてもらわなければ、僕はこうやってただの鉄の塊になってしまっただろう。
 僕の本来のマスターは、もう顔も思い出せない。思い出せても、こんなところに捨てたんだから、もう会うことはないはずだ。
 これから、僕はどうしたらいいんだろう。行き場もなく、ただここにあって、何をしたらいいんだろう。
 使用者《マスター》を失った機械《僕》に、意味はあるんだろうか?
「カイト?」
 メイコが僕を心配そうに覗き込む。
 僕は――目を合わせられなかった。
 メイコはいい。捨てられても今のマスターにまた必要とされて、多分、昔のように歌うこともできて。
 ボーカロイドは歌うためのアンドロイドなのに、自分はもう上手く歌うことなんてできなくて。――羨ましいと思ってしまった自分が、嫌になる。
「おい、カイト。お前、試しに見てみるか?」
 今の今まで黙っていたマスターが、僕に向かってケーブルを差し出した。
「何を、ですか」
「この娘の記録。吸い出せるところは吸い出してみるけど」
「それを、僕に、どうしろって……」
「お前が、答えを知りたさそうな顔しているから」
 捨てられて、主を失ったボーカロイドが、最後に何を思うのか。
 ああ、確かにマスターのいう通りだ。僕は知りたい。
 僕の本来のマスターを憎めばいいのか、自分の身の上を悲しめばいいのか。
 唄に心をこめなくちゃいけない僕らボーカロイドは、普通のアンドロイドに比べて感情豊かになるように設定されているけど、暗い負の感情には、深入りできないようになっている。
 憎しみも悲しみも、たどり着く前に溶けて消えてしまって、上辺をなぞるだけで滑り落ちていく。壊れてしまえば、わかるようになるだろうか。わかるようになったら、壊れてしまうんだろうか。
 僕はマスターが差し出したケーブルを受け取る。恐る恐る、ヘッドセットを外してケーブルを繋ぐ。
 目を閉じて、送られてくるデータを待った。
 断片的に送られてくる記憶の中で、碧色の少女は――。



「あいつ、戻ってこないな。あの娘抱えてふらっと出ていっちまったけど」
「もう日が落ちるわよ」
「そっとしておいた方がいいかと思ったんだが」
「探すんなら今のうちだけど」
「仕方ないな、全く」
 腰をあげたマスターを見て、メイコはドアを開けた。
 夕暮れの空には不穏な様相をした雲が立ち込めていて、夜あたりにはもう一雨きそうな気配だ。
「あの、すみません……」
 かけられた、聞き覚えのない声。
 目を瞬いたメイコが見たのは、どことなく少女のような雰囲気をまとった、小奇麗な若い女性だった。
「こちらの管理者の方でしょうか」
「いえ、私は違うんです。……マスター!」
 振り返ると、メイコの後ろにはすでにマスターが立っていた。
「何かご用ですか?」
「その、廃棄物の心当たりを伺いたいのですけど。こちらに行くように言われまして」
「はあ。俺は警備上、形だけいる管理者なんで、お役に立てるかわかりませんよ。他に仕事ももっているんで、一日中ここにいるわけでもないですしね」
 たまにこの手の人間は来るので、マスターは驚かなかった。
 自分のように、廃棄物を修理したり、部品をあさったりするのが趣味の人間も来るし、失せ物探しをする人間もいる。
 きちんと手続きされた廃棄物に関しては、使えるものはきちんとリサイクルに回されているはずだから、漁ってもたかがしれている。ここまでくるのは本当に物好きだ。どうせ放置するしかないガラクタばかりだから、何を持っていかれようと構いはしないのだが。ただ、この女性は明らかにガラクタ漁りをしにくる人種ではなかったので、マスターとメイコはそろって顔を見合わせる。
「その最近だと思うんですけど、こちらの廃棄場に、青い髪の男性型アンドロイド、捨てられていませんでしたか?」
 その言葉を聞いた瞬間、マスターはむせた。メイコはあわてて辺りを見回した。
「心当たり、あるんですか?」
「あるもなにも……」
 一時間ほど前に、行方不明になったばかりだ。



 ――思い出した。

 ケーブルを繋いだまま、僕はミクの身体を抱えて、いくつめかの瓦礫の山を登っていた。
 できれば一番高い場所に行きたくて、ただ黙々と。もうどこをどう歩いたのかもわからない。今までの記憶を全てたどればわかるだろうけど、何故かそうする気にはなれなくて。
 僕がミクの記憶の断片に見たのは、悲しみでも、ましてや憎しみなんかでもなくて。

 ――ありがとう。

 最後まで、使っていてくれて、ありがとう。もう歌えなくてごめんなさい。できればもっと歌いたかった。幸せになってください。新しい子にも歌わせてあげてください。どうか、最後まで――。

 感謝と、謝罪と、願望で埋め尽くされた感情記録。
 当たり前だ。僕らアンドロイドは心に等しい働きをするプログラムを持っているけど、負の感情に乏しくできている。
 人間を幸せにするために作られているんだから、たとえ壊れたって、人間を憎んだりなんてしない。
 だから、思い出した。
 僕がどうして捨てられたのか。マスターが結婚することになったからだ。
 もうずっと長い間一緒にいて、兄妹のように過ごしていた。だけど、僕は家族のようでいて家族じゃないから、マスターがいなくなってもあの家に残ることができなかった。道具だけれども、人間のように話をするから、一緒についていくこともできなかった。
 ――ずいぶん古いものだから、寿命も近いし、この機会に捨ててしまいましょう。
 僕はもう整備も修理も大変な旧型で、そういわれてしまうのも仕方がない。僕の維持管理は、結構大変だったはずだ。結婚の日が迫ってマスターが不在がちになると、僕のメンテナンスも、自然と忘れられていった。
 マスターを見送ることすら許されずに捨てられてしまったのは心残りだけれど……、それがマスターの幸せに必要なことなら仕方がないことだと思っていた。
 たとえマスターが僕を連れていくつもりだったとしても、僕には居場所なんてない。それでマスターが悲しい思いをするのは嫌だし、連れていってもらっても、僕が止まる日はそう遠くなかっただろう。
 仕方ない。割り切っていたはずだ。機械とはそういうものだから。
 一瞬でも自分の終わり方に疑問をもってしまったのは、意味をなくしても動き続けられるほど、僕の感情プログラムはうまくできていなかった。多分、それだけのことなんだと思う。
 だけど、人間を憎まずに済んだことは、素直に嬉しかった。負の感情に呑まれて消えていくなんて、やりきれない。ミクが最後に残した記録の残滓が、暗い感情に呑まれることに怯えていた僕を、救ってくれていた。
「僕も君も、同じなんだ……」
 腕の中のミクに囁く。
 ただ、道具としての役目を終えただけのこと。君と違うのは、僕の残された心にとどまったのが、達成感ではなくて虚無感ばかりだったことだけれど。
 僕だって、本当はマスターに感謝しながら止まりたい。
「できれば、もっと歌いたかった、か……」
 歌っていられたら良かった。それだけで幸せだった。マスターが喜んでくれたら、もっと幸せになった。
 マスターが好きだといってくれた青空と僕の髪の色が灰色に染まったって、声を失ったわけじゃないから、きっと歌える。
 僕はそっと、碧の少女の手に自分の指を絡めた。
「一緒に、歌おうか。僕は君となら、仲良くなれそうな気がするよ」
 ケーブルを通して、いつの日か彼女が歌っていたんだろう音源を拾い集めて、僕は歌いだした。
 つぶれかけた喉の機能では、思い通りに歌えない。
 それでも、眠る彼女の手を握って、ただ歌い続けた。
 でたらめで、旋律にもなっていない、僕の歌。
 だけど僕の心は、その歌がどんなものなのか、きちんとわかっている。
 青空の色も、雨雲の切れ間から指す光の色も、輝く世界にかかる七色の橋のことも、まだ覚えている。
 日が沈んでも、夜になっても、ガラクタの山が闇に包まれても、夜半過ぎに振り出した雨が僕を濡らしても。
 僕は歌うたいの人形らしく、修理してもらったことで少しだけ伸びた僕の寿命を、歌うことに使おうと決めた。



「――イト、カイト! しっかりして!!」
 聞き覚えのある声がした。
 だけど、誰の声かはわからない。記憶プログラムにアクセスできない。
 頭の中がエラー音でいっぱいになる。
 何だろう、すごく喉が熱い。身体はちっとも動かない。
 視覚は、まだかろうじて生きている。色覚は完全に壊れて、世界の全ては灰色にしか見えない。映っているのは、だらりと投げ出された僕の手。女の子の手を握っている。指と指とをしっかり絡めてあるから、倒れてもまだつながれたままだったみたいだ。
「お前、まさか一晩中歌っていたのか!? そりゃ負荷がかかるに決まってるだろ。ああ、もう……喉の機能は死に掛かっているから使うなって言ったのによ」
 そんなことを言われても、思い出せない。どうして自分がここにいるのかも、歌っていた理由も。
 漠然と、歌わなければいけないという使命感が残っている。
 ああ、そうだ。歌わないと。
 幸せだった。マスターが笑ってくれた。歌っていれば――。
「おい、やめろ。もう歌うな。おとなしく休眠してろ。ショートするぞ。ああ、くっそ、ケーブルのつなぎ目から水が入り込んでやがるな」
 水。ああ、そうか。雨の中で歌っていたから。いやに雑音ばかり聞こえると思ったら、そのせいか。
 身体は相変わらず動かせない。多分、手足を動かすための機関が死んでしまったんだろう。
「迎えにきたんだぞ、お前のマスターが。お前は幸せな機械になれるはずだったんだ」
 マスター。僕の、持ち主。
 ああ、さっきからどうしても思い出せないのは、泣きそうな声で名前を呼んでいるのは、多分マスターの声なんだ。
「なか……ない、で」
 どうにか、出せた言葉はそれだけで、続きは声にすらならずに尽きた。
 幸せな機械になれるはずだったって、そう言っている人の顔がぼやけて。その後ろで、付き従うように立っている女の人の姿も霞んで。今僕の胸に取りすがって泣いているマスターだけは、辛うじてちゃんと見えている。
 ああ、僕は『幸せになれるはずの機械』なんかじゃない。
 今でも充分、幸せだから。これ以上の幸せはいらない。
 精密機械の寿命は、実は人間よりもずっと短い。新型のパーツに変えていったとしても、必ずどこかで時代に置き去りにされてしまう。だから、今、僕の寿命が尽きるのは、おかしなことじゃない。ごく自然なことだ。
 眠って朽ちていくはずだった僕が、ほんの少しの猶予をもらえた。おかげで、最後の最後でマスターに見つけてもらえた。僕は、今のままだってとても幸せな機械なんだ。
 ――だから、どうか、泣かないで。
 笑っていてください。幸せになってください。時々は、僕のことを思い出してくれると嬉しいです。
 僕は今、この手を繋いだ彼女と、同じことを思っている。 
 いつの間にか夜が明けて、雨上がりの空に光が差す。
 壊れた僕の眼には、雲間に見える青も、空にかかる橋も、灰色にかすんでいる。
 
 僕はまだ覚えている。
 灰色の空は、ちゃんと眩しい青をしていることも。
 空にかかる橋は、輝く七色をしていることも。
 ガラクタの中で、最後に見たこの世界の美しさを。

 ちゃんと、覚えている。

 手を繋いだ先、碧の髪をした少女が、微笑みながら頷いた気がした。

 ――最期に見たのが、この景色で良かった。



 二体のボーカロイドが、瓦礫の山で静かに動かなくなった。
 正確には、一体はもうとっくに動かなくなっていて、もう一体はついさっき動きを止めた。
 まだ動いているボーカロイドの指が、雨水を吸って重くなった彼の青い髪に触れる。指先は薄汚れた頬をなぞる。
 壊れかけの機関を限界まで使い続けた彼ののどもとには、少し熱が残っていた。そのまま彼の手元に目をやる。少女型の手を硬く握ったその先。少しだけあせた色合いの碧色の髪。
「この娘、こんな顔して眠っていたかしら」
 その少女型の口元に幸せそうな笑みが浮かんでいるのを見つける。
 何かの拍子に表情が変わっただけなのかもしれない。そう思っても、そこに『心』を錯覚せずにはいられないのはどうしてだろう。
 カイトの歌が、ケーブルを通して彼女の死んだはずの感情回路を動かしたと、信じたくなるのはどうしてだろう?
「ごめんね、カイト。もっと早くに来られなくって」
 カイトのマスターが、活動停止した機械を抱きしめる。
 メイコは、気まずそうな顔をしている自分のマスターに尋ねてみた。
「幸せになれるはずだった、って言ったけど、カイトが不幸だと思っているわけ?」
「……俺にはわからん」
 むすっとした声で答える彼に、メイコは苦笑を漏らした。
「あたしが、前のマスターのことを一度でも愚痴ったことがあった?」
「ん? ……そういえばないな」
「そういうこと。あたしたちはね、本質的に不幸になれないの。それがあたしたちの機能上での制約だから。憎しみも悲しみも、わかるけれど深く理解できないの」
「それで、こいつらが不幸になるわけないと?」
「そうね。だけど覚えておいて。不幸にはならなくても、幸せとは限らないってこと。あのまま眠らせておいたら、少なくともこいつはこんな顔はできなかっただろうってこと。こいつを修理したことを後悔なんてしないで」
 メイコは、カイトのマスターの肩に手をやる。振り向いた彼女に、そっとハンカチを差し出して。
 うっすらと微笑んでいる、二体を見つめた。
「幸せそうに、止まったわね」
 ボーカロイドの呟きを、人間二人は静かに聞く。
 そして、三人で七色の虹がかすんでいく空に。

 瓦礫の山で、風に散った灰色の向こうに、澄み渡る青を見た。
posted by さわのじ。 at 02:38| Comment(0) | 小説  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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